ーとはいえ、構造改革と新しいものを生み出すというのは、頭の使い方がまったく違います。どのようにバランスを取っていたのですか。
まず、構造改革は、やらなければいけないこと。一方で、新規事業をはじめ、イノベーションに関することは、“好き”なので。新製品やアイデアに「いいね」「どうなの」と話をするのは好きですし、実は楽しいひと時でした。軽く聞こえてしまいがちですが、構造改革中だからこそ、新製品やビジネスのアイデアといった“明日のソニー”に貢献するものが出てきたら、こんなに楽しいことはない、と。
ー「SAP」はなぜ検討されたのですか。そしてなぜ、社長直轄のプロジェクトとしてはじめたのでしょうか。
社長就任以降、若手とランチョンミーティングを続けています。毎回若手7〜8人に集まってもらい、お弁当を食べながら、雑談風に「いま何を考えているのか」を話してもらうと、共通するひとつのテーマがありました。
「いまは忙しく仕事に追われ、さらに、本業に関係ないアイデアをもっていても、上司に言うと『いまは会社の存続が最優先。まずは与えられた仕事をしろ』と言われ、新しいアイデアをどうしていいかわからない」というもの。このまま放っておくと、いいアイデアが日の目を見ずに埋もれてしまい、どうしても具現化したい社員は辞めてしまうかもしれない。
だから、組織として、システマティックに、アイデアをしっかりと評価し、製品化までつなげる仕組みをつくらなければいけないー。社員と話をするたび、そんな思いをマグマが沸き上がるよう感じていました。悩んでいるタイミングで、現新規事業創出部統括部長の小田島(伸至)らから「こういうイノベーションを生み出すための仕組みがある」と提案され、何度もミーティングを重ねました。
なぜなら、こうした社長直轄の新プロジェクトをよく考え抜かないではじめると、ますます悪い結果になる。社長の肝煎りではじめても、オペレーションが機能せず、サポート体制も整備されていないと、半年後「最近どうしたんだろうね」「社長があれはもうやめるって言ってたよ」という残念な結果になりがちです。当時のソニーで、一度でもそんなことをしたら、ますますネガティブスパイラルに入ってしまうので、絶対に避けなければなりませんでした。
最終的に私がSAPの立ち上げを行うと決断をしたのは、SAPが仕組みとして持続可能だと思ったから。小田島らと対話を続け、外部も含めて様々なアドバイスをいただきながら、最終的に思想、ルール、メカニズム、スタッフィングが整い、打ち上げ花火ではなく「充分に継続できる」と思ったのです。
私は一回納得すると、逆に絶対にやめませんから。だからこそ、この「持続」にこだわりました。社員の熱い思いを大事にしなければならないなか、持続できない仕組みに「アイデアをもってきて」というのは絶対にあってはならないと思っていました。