第一報は友人からだった。「弁護士の浦志強が、公安局に身柄を拘束された」。阿古智子は、受話器を握ったままその場に凍り付いた。またひとり、友人が捕まった。
その数日前に、阿古は北京市公安局に呼び出されていた。理由は取材許可証を持っていないという些細なことだ。結局は注意だけで済んだが、その時に浦の名前が挙がった。
中国で最も影響力を持つ人権派弁護士の浦と阿古は長年の友人で、浦の息子が留学で日本に来た時は母親がわりを託されるような家族ぐるみの仲だ。言論の自由を守ろうと立ち上がる浦に共鳴し、仕事上の助言を仰ぐことも多い。
「今、中国はどういう時期かわかっていますね?」、公安職員に言われた言葉が脳裏に浮かんだ。「こういう人たちとは会ってはいけません」
自分の国を良くしようと活動する友人が目をつけられていることは気がかりであったが、「わかりました」と言って引き下がった。
阿古は中国の貧困問題の専門家として、20年以上にわたり貧困街や農村地区を中心にフィールドワークを行ってきた。大学時代に参与観察という手法に出会い、人間と社会との関係を考察する仕事に魅せられた。長年中国の農村地域に分け入り観察を続けた結果、いつのまにか、中国の社会問題の第一人者になっていた。
その成果を一冊にまとめた『貧者を喰らう国ー中国格差社会からの警告』は、中国社会の実態を描いた衝撃のレポートとして話題になる。浦など人権問題に取り組む中国人たちとのネットワークもいつの間にか出来上がった。
阿古は、今も2、3カ月に一度は調査のために中国に滞在する。中国には中国のルールがある、と阿古は言う。捕まったら絶対に刃向かってはいけないというのもそのひとつだ。不平等な制度や汚職官僚による社会矛盾を鋭く批判し続ける阿古の言葉にしては意外だが、それは国家安全局に身柄を拘束されるという過去の強烈な体験からの教訓だ。
取調室に連れて行かれた阿古は、何が起こるかわからない不安のあまり、必死で抵抗をした。「反省しなければ同行のジャーナリストに圧力をかける」という脅しじみたやりとりに耐え、翌日に解放された。