訴訟、大洪水、空港閉鎖
特に、不当解雇の訴訟は、「徹底的に戦う」と決め、賠償請求の10倍もの費用を使い、通訳と弁護士を雇って裁判に挑むも、敗訴。裁判後、裁判長に言われる。「加瀬さん、あなたの気持ちはわかる。しかし、タイの労働法は、タイの労働者を守るためにある。もし外国人としてこの地で事業をしたいなら、甘い。もっと勉強しなさい」。
それから加瀬は、タイの労働法を猛勉強。「いまは労働法のコンサルタントができるレベルだと思います」と笑う。軍事クーデター、空港閉鎖、大洪水、度重なる事件・災害に、何度も倒産の危機に直面した。国外にも事業展開し、製品の生産、販売により力を入れるのは、カントリーリスクヘッジのためだ。しかし、加瀬は今年、タイの永住権を獲得。数年後にはタイ国籍を取得し、会社と共にタイに身を埋める覚悟だ。
加瀬は1970年代、タバコ屋と床屋を営む横浜の下町の商店の家に生まれ育った。一日の終わりには、家族で小銭を数える。わずかでも売り上げが良い日は食卓に笑いがあふれ、逆に少ない日は不機嫌が立ち込める。冷静に見つめる少女の中に、商売人の芽は育っていった。
タイやカンボジアでマッサージに従事するスタッフは、初等教育すらままならない、恵まれない環境に育ち、細腕で家計を支える女性たちも多い。加瀬は創業当初より、スタッフの雇用体系や報奨に力を入れる。励みは、彼女たちの笑顔だ。
タイ語に「マイペンライ」、英語に訳すとネバーマインド、というような意味の言葉がある。現世はたとえ辛くても、幸せな来世のためにいま「徳」を積もう、タイ人の明るさと強さの底には、そんな精神が深く根付いている、と加瀬は言う。
その笑顔は無知からくるものかもしれない、「でも」と彼女は独り言のように言い聞かせる。「明日のことは誰もわからない。だったらそれが無知からくるものだとしても、明るく笑顔でいた方がいいー」。
Q1 人生で最も辛かった経験は?
21歳で娘を産み、結婚したが、パートナーが直後に若くして急死。悲しさを仕事に打ち込むことで忘れようと必死で働いた。
Q2 ターニングポイントは?
やはり、タイに来たこと。失敗ばかりだったが、お客さま、取引先の方々に叱咤激励され育てられた。
Q3 影響を受けた実在の人物は?
中学生の時、数学者の遠山啓さんの「ひと」という雑誌を読み、手紙を書いたことがきっかけで、長く文通をさせていただいた。
Q4 原動力となる言葉
「いまを生きる」。昨日ではなく、明日ではなく、「いま」を大切にしたい。
加瀬由美子 アジアハーブアソシエイション創業者兼CEO。1964年神奈川県生まれ。2002年単身タイに渡りマッサージ店、アジアハーブアソシエイションを設立。現在は年間25万人が訪れる人気店に。13年にロート製薬と現地で合弁会社を設立。
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