太極拳の稽古というのは、たとえば足を開いて立ち、両手を胸の前に15cmほど押し出すだけの、これ以上ないほどシンプルな動きを、徐々に洗練させていくというような類いのものだ。こういう極めてシンプルな動きを繰り返しているうちに感覚が研ぎ澄まされていき、ある時点から身体の中に生じるほんのわずかな揺らぎをも感じ取れるようになるという。
身体の中の微細な感覚を高精度なセンサーでとらえられるようになるとどうなるか。映像にたとえるなら、ふつうの人が1秒を4コマくらいでとらえているとしたら、1秒300コマとか400コマといったコマ割でとらえることができるようになるのだそうだ。
そうなると、ふつうの人にはほんの瞬きをした程度の時間でも、ジョッシュのような人間にはとてもゆっくりとした時間に感じられるのである(ミドル級のジョッシュがヘビー級の巨漢選手と対戦した際には相手の全力パンチがスローモーションに見えたという)。
ジョッシュの師匠は、弟子にパンチを教えるとき、よく「お茶を注ぐのと同じように」と言うそうだが、もしお茶を注ぐようかのようなごく自然な所作で突然、強烈なパンチが繰り出されてきたとしたらどうだろう? もちろん答えは明らかだ。避けきれるわけがない。
おそらく我々はそれがパンチだったということにすら気がつかないまま昏倒するだろう。武術の達人にとっては、1秒にも満たない時間で技を繰り出すことなど造作もないことなのだ。
面白いことに、同じようなことがチェスにも当てはまるというのだが、このあたりの説明はぜひ本を読んでいただきたい。すべてがつながっているのを目の当たりにしてあなたは驚くことになるだろう。
この本には、ゾーンと呼ばれる集中状態に自然に入るにはどうすればいいかとか、人間の身体能力や認知機能にどのような可能性が秘められているかといった有益な話が満載だ。重要な場面ほど力を発揮できなくなる経営者がジョッシュに相談を持ちかけるエピソードも出てくる。ジョッシュが彼に与えたアドバイスは、同じように本番に弱いビジネスマンは必読だろう。
だがなによりも本書で私が重要だと思うのは、次のようなくだりである。