ビジネス

2016.08.19

健康的な食で世界をつなぐ![ウーマン・イノベーターズ04]

グローブキャラバンの寺脇加恵 代表取締役兼エグゼクティブシェフ


Q4. どんな学生時代を過ごされましたか? 熱中していたこと、その頃からビジョンを描かれていましたか?

幼少から高校生時代までは親がとても厳しく、空手の朝稽古をしてから小学校へ登校、家にはテレビがなく漫画も禁止、大学生になっても門限が20時半などのルールがありました。

テレビの代わりに本を読めという教育のもと、小学4年位までの週末は図書館に行き、1か月に50冊くらいの本を読んで、本の中の世界を妄想するのが好きでした。今の飲食事業で頭の中に浮かぶ世界観を表現したいという欲求は、この頃の影響があると思います。

その後、1週間に1番組だけテレビを観て良いルールができ、尺の長い映画をよく観ていました。とにかく外部情報量が少なかったので、映画に出てくるいろいろな国の世界観や英語に憧れるようになりました。

高校1年の時に、当時住んでいた横須賀市の姉妹都市への短期ホームスティの試験を受け、テキサス州やメキシコに行く機会を得ました。見るもの全てが非日常的で「英語ができるとこんなに楽しい映画のような世界が広がるんだ」と衝撃を受け、将来は海外と日本を行き来する仕事がしたいと思うようになりました。

大学時代は門限について父と喧嘩をしてほぼ家出状態で一人暮らしをしたため、生活費を稼ぐためにずっと働いていました。高校時代のアルバイト禁止の反動で、いろいろな業界の裏側を垣間みるのが楽しくて仕方がなく、その感覚は、いまのケータリングで様々な業界をみられる楽しさにつながっています。

その頃第二次ITバブル期で、在学中に会社を作る同期の友達がいたこともあり、アルバイトで時間を売るより、利益の高い仕組みを作る方が大好きな旅に出る頻度を上げられると考え、会社を作りました。

起業して2年ほどしてから重度のアトピーになりました。ストレスがかかった状態で栄養のバランスも崩れていたのだと思います。食生活を見直し、いま提供している「無添加調理、1日分の野菜が含まれる」ご飯を自分で作って食べるようになってしばらくして、アトピーが完治しました。

飲食事業に転向した際に、当時の経験をもとに健康の大事さを実感し、「華やかだけど健康的な世界の料理」を提供するというビジョンができました。

Q5. キャリアや人生を形成するにあたり、影響を受けた人、ものはなんですか?

両親です。父親は税理士で会計事務所を経営しているのですが、小さい頃よく顧問先に連れて行ってもらい、個人商店を見ていたので、客商売とはどういうことなのかという哲学に触れていました。

また、小学校2年生の頃から、おこづかい帳ではなく、「コクヨの現金出納帳」を持たされ、学校で使うノートの購入費などの経費は自分で前払いし親に後請求をする、その過程でグレーゾーンの経費については親と交渉する、というルールがあり、会計的な収支感覚はそこで学んだような気がします。

父は空手の師範でもあり、近所の子供たちにボランティアで教えていていたのですが、わたしも7歳から10年ほど、空手が大好きで小さい子供に教えたりしていました。子供の教育に関わることが好きなのは父の影響です。

ケータリング業では、「無添加調理、1食で1日分の野菜がとれるヘルスケア視点のレシピ」のメニューを提供しているのですが、幼少期に母が無添加調理の食生活を徹底してくれたおかげで、飲食業で通じる繊細な舌ができたように思います。

また母は、英語について様々な学びのチャンスを与えてくれました。一番記憶に残っているのは、中学2年生の時に「英語しか話してはいけない合宿」に放り込まれたことです。海外転勤が決まった社会人が英語に慣れるために行くような研修なのですが、30-40代の男性中心のグループに女子中学生が一人という状況。度胸もつきましたし、英語で夢を見たのはこの時が初めてでした。
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編集=Forbes JAPAN 編集部

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