シリコンバレーの「伝説のコーチ」へ、グーグル会長が贈る追悼文

ビル・キャンベル (1940-2016)

人呼んで、「シリコンバレーのコーチ」。今年の4月に他界したソフトウェア開発企業「イントゥイット」のビル・キャンベル元CEOは、アップルのスティーブ・ジョブズやアマゾンのジェフ・ベゾスなど、多くのCEOに敬愛された”経営者たちのよき相談相手”だった。

広告業界出身のキャンベルは、プログラミングができるわけでも、取り立ててテクノロジーに通じているわけでもなかった。だが彼には、デジタルの世界を見通す先見の明があり、周りを鼓舞する力があった。

別名の「コーチ」は、コロンビア大学のアメフト部で監督をしていたことから付いたもの。そして、彼は最期まで世界の名だたるIT企業の名コーチであり続けた。

キャンベルの薫陶を受けたひとり、グーグルのエリック・シュミット会長が追悼文を贈る。

グーグルのCEOとして働き始めた2001年の暮れ、投資家会社KPCBのジョン・ドーアから一本の電話がかかってきた。

「投資先企業のアドバイザーに、ビル・キャンベルという優れたメンターがいる」というものだった。私は「コーチなんていらないよ。CEOを何年も務めた経験がある。子供じゃないんだ」と応じたことを覚えている。でも、ジョンは押してきた。

「プロテニス選手だって、コーチを付けている。君にだっていてもいいんじゃないか?」

そこで、グーグル共同創業者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンと私とで、ビルに会うことにした。彼は一度会えば、力を借りたくなるような男だった。

ビルのいないグーグルを想像するのは難しい。会社の行く末を決めるあらゆる場に彼の姿はあった。彼は人々の気持ちをよく理解していた。会議に参加しても多くを語らず、静観していた。その後、私や他の取締役が各自、彼が勤めるイントゥイットへ意見
を求めに足を運んだ。

ビルは必ずしもテクノロジーに精通していたわけではなかった。ただ、彼は課題を解決する力に長けていて、人を焚き付けるのも上手だった。おそらく、どの業界でもコーチとして成功したことだろう。

スティーブ・ジョブズが私をアップルの社外取締役に誘ってくれたとき、ビルがスティーブの親友であり、相談相手であることを知った。つまり、アップルとグーグルという、世界で最も時価総額が高い会社のコンサルタントであり、メンターだったのだ。考えてみれば、これはとてつもないことである。

ビルは、自分のことを”シリコンバレーの相談役”だと考えていた。慎み深い彼は、「君の力になるためにここにいるんだ。見返りなどいらない。注目もされたくない」と言ったものだ。もし彼がもっと有名人であったならば、きっと彼の果たせる役割はより小さなものになっていたと思う。

彼の気持ちは純粋なものだった。権力や名声を求める人も少なからずいる。ビルが求めたのは愛だった。彼はみんなの力になりたかっただけなのだ。

そして、実際にそうなっていた。

エリック・シュミット◎グーグル会長。カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得後、パロアルト研究所やベル研究所、サン・マイクロシステムズなどで勤務。2001年にグーグルの最高経営責任者(CEO)に就任し、同社共同創業者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンとで約10年にわたって「三頭体制」で経営を行った。11年にペイジにCEO職を譲り、現職。

編集 = Forbes JAPAN 編集部

この記事は 「Forbes JAPAN No.25 2016年8月号(2016/06/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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