小田島がくまなく現場を見て回ってわかったことは「自分の技術をこの分野に応用してみたい」「こんな人と出会ったら新しい事業ができるのに」といった既存事業の領域外のアイデアを持った人たちがいる一方で、「アイデアをどこに持っていけばいいかわからない」「現業が忙しくてアイデアを形にできない」という悩みを抱えていた人たちも数多くいたということだった。
意欲的な人材と技術の種を活かしきれていないー。様々な部署の若手・中堅社員と「何が課題で、どうすれば解決できるか」を連日話し合う中で、それらを痛感していた小田島が出した答えは「新規事業を次々と生み出す仕組みが必要だ」。
「世代間ギャップや大規模・小規模といった対立概念をうまく乗り越えていかないと、大企業の中では小さいものは埋もれやすい。小さいものが埋もれてしまうと、新しいアイデアが出にくい。だからこそ、仕組みをつくる必要がある」(小田島)
イノベーションや新規事業開発には「仕組みに支えられるようでは、そもそも立ち上がらないのでは」という批判が常についてまわる。しかし、いま、必要なのは、天才という個人ではなく、新しい事業の種をつくり続けるための組織。だからこそ、小田島は必要な理由を積み上げながら、新規事業創出部をつくってほしいと平井社長に提案を繰り返していく。
そして、その過程の中で、ソニー銀行の創業メンバーで、構造改革の最中に本社に戻ってきた十時にも、持論をぶつけた。新規事業立ち上げ経験者に意見を求めるとともに、小田島はこのプロジェクトの責任者は「十時が適任ではないか」と思っていたからだ。そして言われたのが冒頭の言葉。当時を小田島はこう振り返る。
「ハッとしました。それまで、いい提案があれば、役員の誰かが責任者となり、その下で私が立ち回るんだろうなと思っていましたから。まさか自分がやるとは。ただ、”言い出しっぺ”がやったほうがいい。だから、すぐに『私がやります』と言いました」
一方、十時は当時のことを次のように振り返る。
「”情熱を持って行動している人”がいたのでね。初めて聞いたときから、よくできていた。だから、『やったらどうか』と言っただけです」
「ソニーには昔から“机の下でものをつくる”という文化があった。業務外で勝手に開発したものが見出されて、突然商品化されるなんてことも珍しくなかった。しかし、会社が大きくなるにつれ、効率化や市場に対するアカウンタビリティなどが重視される過程で、そうした“遊び”は徐々に小さくなっているかもしれないという印象は、私も持っていた。だから、小田島の説明を聞いたときは、ニーズはあると。ただ、いきなり大きな組織をつくる方法は少し古い。まずは一人でやってみて、必要な人とファンクションが見えてきたら、その都度手を打っていくほうがいいのではという話をしました」(十時)