ビジネス

2016.08.22

「会社は掲げた旗の方向に向かっていく」協和発酵キリン 花井社長

協和発酵キリン代表取締役社長 花井陳雄(photograph by Jan Buus)


それでも最初の一年間は契約を得られなかった。アメリカ企業から預かった細胞をポテリジェント技術で改良して戻すというビジネスモデルを採用していたからだ。アメリカ企業が無名の日本企業に、企業秘密ともいえる自社の細胞を渡せるわけがなかった。そのため、花井社長は、虎の子である同社の細胞をライセンス契約によりアメリカ企業に明け渡すという大転換を図る。

「オープン・イノベーション?今で言うとそうかもしれませんが、当時としてはかなり思い切ったことでした。それでも細胞を1粒渡せば、改良されて2粒になって戻ってくるかもしれない。その可能性にかけたのです」

しかし、ライセンス契約は難航した。そんな時に行ったあるカンファレンスで耳にした対話に、花井は突破口を見いだす。

「対話の中で、ベンチャー企業の人がメガファーマの副社長に”どんなベンチャー企業と契約したいか?”と質問したんです。副社長の答えに目から鱗が落ちた思いがしました。”フレンドと契約したい”と答えたからです。国際ビジネスの舞台では、強い信頼関係を築くことが何より重要だと気づきました」

花井社長はカンファレンス後に行われるパーティーに加わっては”フレンド”をつくり、次々とライセンス契約を勝ち取っていった。

08年、キリンファーマと合併し、協和発酵キリンとなると、「グローバル・スペシャリティファーマ」を打ち出した。しかし、「お恥ずかしい話ですが」と、花井はこう打ち明ける。

「これは造語で、その後の役員会でこの言葉の意味する具体的なゴールイメージについて議論し、後から改めて定義したのです。創薬した自社の薬を欧米やアジアでグローバルに販売することだ、と」

11年と14年にイギリスの会社を買収。3つの自社新薬をグローバルな販売網にのせるべく、開発は最終フェーズに入った。3つとも世界初のメカニズムの薬であり、そのうち2つは得意とする抗体医薬だ。

「面白いことに、グローバル・スペシャリティファーマト旗を揚げると、会社はその方向に進むものですね」

そう言って、花井は笑うのだった。

はない・のぶお◎1953年、神奈川県生まれ。76年、東京大学薬学部卒業、協和発酵工業に入社。85年に医学博士。2003年にアメリカでBioWa,Inc.を設立し、同社社長。08年にキリンファーマとの合併で現商号に。2012年から現職。

飯塚真紀子=文

この記事は 「Forbes JAPAN No.25 2016年8月号(2016/06/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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