キャリア・教育

2016.08.01 20:20

「したたかじゃない女性なんていない」小池百合子、へたれ男たちとの勝負史24年

(Photo by David Mareuil/Anadolu Agency/Getty Images)

(Photo by David Mareuil/Anadolu Agency/Getty Images)

「やっぱり勝負しないとイヤなんです」
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小池百合子からそんな言葉を聞いたのは、11年前のことだ。

郵政民営化をかけた2005年の選挙で、「刺客第一号」として圧勝してから11年。今度は都知事選で次点に100万票以上の大差をつけた。勝因は何だろうか。政界進出して24年。その間繰り返してきた彼女の勝負の歴史に、答えがあるだろう。

21歳で第四次中東戦争をカイロで経験し、匍匐前進などの軍事教練を受けてきた小池百合子。国会議員でおそらく唯一戦争体験がある女性と、他の議員たちとの違いは戦い方から見えてくる。
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安全に勝とうとしたがる人たち

細川護煕率いる日本新党ブームに乗って小池百合子が政界入りをしたように思われているが、それは少し違う。

1988年、テレビ東京『ワールド・ビジネス・サテライト』の初代キャスターに就任して高い評価を得ていた彼女には、複数の政党から政界入りの誘いが来ていた。小池に日本新党入りするよう口説いたのは、「朝日ジャーナル」の編集長だった伊藤正孝である。

伊藤は朝日新聞鹿児島支局の記者時代に、新人記者・細川護煕と同じ下宿で暮らした関係から、細川から新党立ち上げの相談を受けていた。アフリカ報道で知られる伊藤と小池は、『季刊アラブ』の編集を通して同志の関係にあった。そこで小池に白羽の矢を立てたのだ。

しかし、日本新党はすぐにブームを起こしたわけではなく、実は結党時に危機に立たされている。全国から多くの賛同者が集まったものの、いざ選挙となると、ほとんどの者が立候補に二の足を踏み、「細川さんが当選したら、自分も出る」と様子見を決め込んだ。つまり、勝ち馬に乗れるとわかった段階で、来年の選挙なら出てもいいと誰もが思ったのだ。

候補者がそろわない中、伊藤正孝の口説きをためらっていた小池が突然、手を挙げた。

「自分が身を投じたら、誰もが乗ってくるだろう。このチャンスを生かしてあげないと、党が潰れてしまう」と、小池は当時のことを私の取材で回想している。

92年7月の参院選で細川や小池ら日本新党から4人が当選。翌年の衆院選で細川や小池は鞍替えをし、この時、一気に35人が当選。最初に飛び込むことで勢いをつくり、党も小池本人もイニシアティブを握り、細川政権の道筋をつくったのだ。
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編集=藤吉雅春

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