世襲議員が圧倒的に多く、ムラの因習が支配的な組織で埋もれないために、自ら勝負に名乗り出る。それが2005年、小泉首相が「死ぬ覚悟でやる」とぶちまけた郵政民営化を問う解散総選挙だった。彼女は造反議員への「刺客第一号」として手を挙げた。このときも今回の都知事選と同じく、選挙区の兵庫6区に相談なく、突然の宣言だったため話題となった。
07年には、「防衛省のドン」として事務次官に異例の5年以上も居座る守屋武昌を更迭。きな臭い噂があり、人事に介入していた守屋を総理や官房長官に相談せずに更迭したことで、結果的に刺し違えることとなった。
一番最初に名乗りを上げる、スポットライトを浴びることで、逆境を大舞台に変える、そうした戦い方の総決算が今回の都知事選だった。舞台は小池の土俵となり、組織力に勝る結果となったのだ。
2009年に小池から都連改革を提言されて、会議中、コップを手で払いのけるほど怒った都連会長、石原伸晃は、今回、父親の石原慎太郎を応援に担ぎ出した。しかし、父は小池のことを、「大年増の厚化粧」と罵り、女性票の獲得を狙っていた与党にとって大誤算となった。
永田町の古いムラ社会で、常に「したたかな女」と陰口を叩かれる小池に、11年前、「したたかですよね」と聞くと、こんな言葉が返ってきた。それは小池らしい答えだった。
「世界中の女性でしたたかでない人なんて、いませんよ。そもそもしたたかでない政治家なんて、政治をやめた方がいいと思う」