「したたかじゃない女性なんていない」小池百合子、へたれ男たちとの勝負史24年

(Photo by David Mareuil/Anadolu Agency/Getty Images)


勝負する土俵を変える

今回の都知事選に立候補した山口敏夫と小池百合子にはちょっとした因縁がある。94年、山口敏夫は小池ら日本新党の議員7人を六本木の中華料理店に連れて行き、そこで小沢一郎(当時、新生党代表幹事)と引き合わせている。

小沢と小池は安全保障論で意気投合し、94年に日本新党、新生党、公明党が合併して誕生した新進党で、党首と補佐役という関係になった。しかし、次の小池の勝負となったのが、小沢との決別だろう。

新進党は98年に解党。小沢は自由党を率いて、小池も自由党に合流したが、99年、自由党は自民党による水面下での猛烈な切り崩し工作を仕掛けられる。

「小池さんには残ってほしい」。小沢は自由党幹部に「小池残留」の指示を告げ、彼女に「近畿ブロック・比例」という条件を提示した。しかし、残留工作は失敗。彼女は保守党の結成に参加した。彼女は残留しなかった理由をこう言っている。

「私は地べた(小選挙区)で勝負したかった。比例ではやりたいことができなくなる。やっぱり勝負しないとイヤなんです」

彼女は「政界渡り鳥」という揶揄を非常に嫌るが、政党を渡り歩くというよりも、勝負を張る舞台を探していると言った方がいいだろう。

結成された保守党は海部俊樹、扇千景など大物が多い小所帯だったため、彼女は現場仕事の多くを任され、肩書きは22にも増えた。「もう体が壊れる」と、保守党を離脱。

そうして彼女が入党したのが、「自民党をぶっ壊す」と吠えて総裁になったばかりの小泉純一郎率いる自民党だった。
 
常に逆境

小泉政権で環境大臣に就任した後、日本の政党の体質を象徴するシーンがあった。森派の昼食会で、派閥の領袖である森喜朗が小池を罵倒した。

「なぜ、再任なんだ!」

内閣改造で小泉首相が小池を環境大臣に再任したため、小池に八つ当たりのような怒りをぶつけたのだ。同じく法務大臣に就任した南野知恵子も、森の怒りの標的となった。

自民党のドンとして、年功序列や当選回数を無視した小泉の抜擢人事が気にくわなかったのだろう。小泉に不満を言わずに、女性たちに当たる見苦しい光景であり、“ムラ”の政治を垣間見る場面だった。のちに小池は森派を離れている。
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編集=藤吉雅春

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