エイプリルフール企画の成功を知ったハンケは、ポケモン社にモバイルゲームの開発を打診しようと野村に面談の設定を依頼。ポケモン社CEOの石原恒和との商談は2014年5月に実現した。イングレスの大ファンだという石原は、ポケモンを使った位置情報ゲームの可能性にすぐ気が付いたという。任天堂の前社長、故岩田聡の協力も受けて、ハンケは2014年夏にポケモンGOの開発に着手した。ゲーム収益は、ナイアンティック、ポケモン社、任天堂の3社で分配することで合意した。
一方で、シリコンバレーではグーグルが組織再編を進めており、宙ぶらりんとなったナイアンティックの処遇について経営陣は頭を悩ませていた。アンドロイド部門に吸収させる方向で話し合いが行われたが、ハンケにとって自由闊達な風土から巨大で官僚的な組織に逆戻りすることは考えられなかった。
ポケモンGOの実力を見抜けなかった大手VC
そこでハンケは経営陣に対してスピンオフを持ち掛け、独立するための資金を外部から調達する許可を得た。彼はアンドリーセン・ホロウィッツやクライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズなどの大手ベンチャーキャピタル(VC)と交渉をしたが、1億5,000万ドルを下らない評価額に各社はしり込みをした。投資家の一人は、交渉の中で「ハンケはイングレスのことしか語らず、開発中のポケモンGOについては一切話を持ち出さなかった」と証言する。最終的にハンケはグーグル、任天堂、ポケモン社、エンジェル投資家などから1億7,500万ドルの評価額で3,500万ドルを調達することに成功した。
出資を見送ったVCを擁護する訳ではないが、ポケモンGOはまだリリースから1か月しか経っておらず、「ファームビル」を生んだジンガや、「キャンディ・クラッシュ」のキング社の事例を見れば、大ヒットゲームを世に送り出しても、その後業績が低迷する可能性は十分ある。
しかし、今のハンケには先々のことを考える余裕など全くない。サーバーをダウンさせないために目の下にクマを作り、不眠不休で働いているのだ。自分が作ったゲームを楽しむ暇すらないというハンケにポケモンGOのレベルを聞くと、彼はバツが悪そうに「レベル5くらいだと思う」と答えた。