ITで人々の生活と働き方を変えていく![ウーマン・イノベーターズ03]

ウィズグループ/たからのやま 奥田浩美社長


Q7. これまでで一番大きな失敗や挫折とは?

一番大きな挫折は23〜24歳の時、自分が全く無力だということに気づかされたインドのフィールドワークです。あんな挫折と無力感はこれからもないのではないかと思います。

例えば、少女たちが売春を行っている地域での更生プログラム。プログラムでは彼女たちを救出し、自立支援活動を行っていました。読み書きやタイプ、刺繍などを教え、売春がいかに心や体、そして人間の尊厳にとって悪いものであるかの教育を行いました。

しかし、彼女たちに特別なスキルがあるわけではないので、更生プログラムを終えて社会に送り出すと再び売春に戻ってしまう。あるいは元の村に戻っても、村の人の偏見にさらされ、家族にも受け入れられず、その孤独から自殺してしまう。さらには、売春によって以前は三食たべられて幸せを感じていたものが、更生プログラムによって罪悪感を植え付けたことで、心を病んでしまう・・・。

道徳を学んだことで幸せが減ってゆくという矛盾に面する2年間で、果たして自分たちがやっていることは正しいことなのか? 正しいという基準はどこにあり、何を信じて自信をもって行動すればいいのか? とすっかりわからなくなり、自分自身が心を病んでしまいました。そんなことの積み重ねで、ひどい挫折感と無力感を感じて帰国しました。

Q8. それはどのように乗り越えましたか? 得た教訓などあれば教えてください。

自分ではなにも乗り越えられないということを悟りました。そして、そういう時のために家族や友人など周囲の人がいるのだということに気づきました。自分の無力さ、非力さをきちんと等身大で理解している人間には、多くの人が手を差し伸べてくれることを知りました。私のインドでの修士の学位は、そういった“差し伸べられた手”によって得られたようなものです。

そして、2年間で最も学んだことは、自分の価値観は世界では通用しないし、個人間でも通用しないということでした。ある意味万人に正しいものはない。まずは自分の周囲の最大公約数の正しさを信じるしかないけれど、文化が変わればそれも変わる。ということは、自らの価値観を自分で作り、信じるしかない。

人と違うのが当たり前なんだというその学びから、今でも人と話す時は価値観が違うという前提で歩み寄るようにしています。

一方で、価値観が違う人でも同じ方向に進むことができる。異なる価値観は幅を生むということも知りました。この2年間では、ここに書ききれないことを学びました。

Q9. 女性だったことでハンデはありましたか? 

全くなかったと思っています。私が作り上げたビジネスは、まだ男女関係なく誰も手を付けていないニッチな世界だったので、必要なものは「男から買う」「女から買う」と言う以前に「どこにもないから買う」という感覚です。男女関係なく社会が欲しがる、そういう分野を生きてきました。

IT専業で技術を伝える国際会議をサポートする仕事はなかったですし、ロボットをおばあちゃんたちに検証させるといったようなことも男女関係なく受け入れられることでしたから。起業した世界はIT分野。まさに「ブルーオーシャンを泳ぐ」イメージです。ブルーオーシャンである限り、男女の区別は関係ありません。
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編集=Forbes JAPAN 編集部

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