テクノロジー

2016.07.29 15:00

ITで人々の生活と働き方を変えていく![ウーマン・イノベーターズ03]

ウィズグループ/たからのやま 奥田浩美社長

女性はどんなときに、起業を考え、実際に行動に移すのだろうか? 成功した女性たちへの15の質問でそのルーツや共通点を探る連載「ウーマン・イノベーターズ」。第3回は、3度の起業を経て2つの会社を経営し、その他多くの役を担って“社会とテクノロジーの架け橋”をしている奥田浩美さんに直撃。インドで体験したという人生最大の挫折、微笑ましい息抜き方法など、イノベーターを支える原動力やビジョンに迫る。

Q1. 現在のお仕事について教えてください。

「仕事」という幅がどこまでか…という議論ができるぐらい、30ほどの役目・役割を持っています。すでに「ワークライフインテグレーション」が完了していて、人生の生き方自体が仕事になっているイメージです。

その中でも自身で経営している会社が2つあります。ひとつは、IT分野のカンファレンスやプライベートショーのプロデュース、コミュニティ創出およびマネージメントを行う「ウィズグループ」。ここでは、イベントを“社会に大きなインパクトを与え、活動を起こすためのツール”として捉え、その企画・お手伝いをしています。

もう一つは、テクノロジー領域における共創を行う「たからのやま」。東京と地方、大企業とベンチャー、地方と地方、開発者と利用者、日本と世界など組み合わせに限りはなく、あらゆる地域の課題とテクノロジーを結びつけていく会社で、IT、地方、社会課題解決、ロボットなどのキーワードにピンときたあらゆる業界の方々と事業をしています。

前者は最先端のテクノロジーを社会に広めて行く事業、後者は最先端の社会課題をテクノロジー側につなげていく事業。私のメインの仕事はこの2つの会社によって、社会に必要なテクノロジーを「端と端」から探っていくことです。

Q2. 今のお仕事を選んだ理由はなんですか?

これまでの人生で右足、左足、右足、左足と信念に従って出してきた足跡の中で、お金とつながり社会に必要とされたポイントが仕事となっているイメージです。ただ、そのいずれもが中核に「最大の叡智で次世代を創る」というような意識があり、結果的に仕事の理由になっていると思います。

Q3. これまでのキャリアの経緯を教えてください。

インド国立ボンベイ大学(現州立ムンバイ大学)大学院社会福祉課程を修了後、東京で国際会議の企画運営会社に入社しました。帰国時期が採用シーズンから外れていたため、まずは当座の仕事に就こうと決め就職したのですが、そこで私に割り振られたのが、黎明期のIT分野の国際会議の仕事でした。

1980年代の終わりで、日常にはインターネットもなく、PCもまだ珍しく、携帯電話も普及していない時代。そんな中で、未来の技術を語る研究者・起業家たちと出会いました。

それらの人が熱く語る「ITで世の中を幸せにする」という言葉は、インドで社会を変えるリーダーシップ教育を受けてきた私の心に響き、「この道を究めてみよう」と思い立ちました。実はもともと、ITの世界に入りたかったわけでも、起業家になりたかったわけでもありません。

その後1991年、26歳で新規事業の立ち上げに誘われ、ITに特化したカンファレンス事業を設立。これが初めての起業です。アメリカの大きなカンファレンスに片っ端から営業をかけ、日本での事務局業務を獲得しました。また現地で視察したことを参考に、日本でも同様の演出や仕組みを再現することに取り組み、がむしゃらに働きました。

2000年に長女を出産したことを機に、「これからの新しい働き方」ということに大きな興味を抱き、子育てと両立できる範囲で取り組める小さな会社を立ち上げました。それがウィズグループです。「娘を育てることと会社を育てることを同じレベルで考えていけるような会社・社会にしたい」「ITで、人々の生活と働き方を変えたい」。そういう思いで場所に縛られない働き方を生み出してきました。

さらには親の介護をきっかけに「高齢者とIT」というテーマに関心を持つようになり、2012年に「finder」というメディアを立ち上げ、3回目の起業として2013年7月にたからのやまを徳島県に創業。地域の人々の知見や課題をもとにITの製品を作る取り組みをすすめています。

そして、今後特に力を入れていきたいのが「教育」と「福祉」です。教育学部から社会福祉学部へと進んで、一時はまったく縁のない分野になったと思っていたものが今、私の武器となっていることを実感します。
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編集=Forbes JAPAN 編集部

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