世界中の女性たちへ、自分自身を「改革」せよ

マテリアルワールドの共同創業者 矢野莉恵(左)とジー・ツェン (右)。(photograph by Aaron Kotowski)


現在、マテリアルワールドでは、洋服を中心にバッグや靴、アクセサリーを下取りしており、対象ブランドは、イッセイミヤケやヨージ・ヤマモト、ケンゾー、シャネル、ジミーチュウ、ルイ・ヴィトンなど、260に及ぶ。10点持ち込めば、6、7点下取りしてもらえることが多いという。

コンディションのいい高級品が中心のため、下取り額は1点につき平均200ドル。200ドルを手にした顧客は通常、提携先の小売店で500ドルくらい使うという。下取りできなかった服は、希望に従い、提携先の慈善団体に寄付したり、顧客に返品したりする。

セラー(下取りサービスを利用する顧客層)は25〜55歳と年齢幅が広く、都会に住む高所得層の女性が多い。3分の1がニューヨーク在住で、残りはロサンゼルスやサンフランシスコ、シカゴ、マイアミ、ダラスと、全米に広がっている。

笑顔を絶やさず、ハキハキとインタビューに答える姿からは想像もできないが、矢野は子供の頃、将来、会社をつくるなど考えられないほど、シャイで泣き虫だったという。内気な性格を変えたのは、父親の転勤で5歳のとき米中西部デトロイトに移住したのを皮切りに、カナダのトロントやメキシコなどに移り住み、25回に及ぶ引っ越しで身に付けた「新しい自分へと変わり続ける」スキルだった。

「引っ越しで自分を『リインベント(改革)』 し、新しい場所で新しい自分になってみよう、と」(矢野)。ニューヨーカーになって6年。こんなに長く1カ所に住んだことはないと笑う矢野のモットーは、「人生に不可能なことはない」。 

生粋のコスモポリタンでありながら、日本のことを知らないコンプレックスに悩み、 日本社会で活躍する自信を得るため、メキシコから単身日本へ。上智大学で4年間を過ごし、三菱商事で広報の仕事に就き、 05年から1年半のニューヨーク駐在も経験した。

帰国後1年で退社し、アルゼンチンに滞在した後、08年、MBAを取得すべく、 ハーバードに入学。研修で訪ねたイスラエルの自由闊達な起業文化に感化され、「私にもできる。誰かの下で働くことだけがオプションじゃない」と、26歳で起業に目覚めた。

大学院から資金援助を得て、日本在住イスラエル人の男性二人と共同でデザイン系スタートアップを始めるも、うまくいかず、時期やチーム、やり方が違うと感じ、卒業と同時に会社をつぶした。「思い出すと、今でも涙が出そうになる」と語る矢野だが、その挫折がバネになったのは間違いないという。MBA取得後、コーチに入社。約2年に及ぶデジタルメディア・マーケティング業務を経て、12年、念願の起業を果たした。

1年半前には6人ほどだった社員も今では35人に増え、そのうち女性が8割を占める。社員の平均年齢は弱冠25歳。日本人、 米国人、カナダ人など、バックグラウンドがさまざまなだけに、日本的感覚は通用しない。
次ページ > 「NYだからこそ、この会社をつくりたかった」

文 = 肥田美佐子

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事