中国の富裕層の二代目の傾向は?[富豪のトリビア45 -Part10]

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富豪たちはいかにして巨万の富を手にし、何を考え、どう使うのか。大金持ちの生態を解き明かす「45のトリビア」を、12回に分けて紹介する。第10回目は、中国の富裕層ファミリーについて。

Q 一人っ子で大金持ち。中国の富裕層の二代目の傾向は?


金持ちの二代目を中国では「富二代(フーアルダイ)」と呼び、主に財を成した民間企業の経営者の子女を指す。海外留学などにより高い教育を受けているケースも少なくなく、親の事業をさらに大きくしたり、自らも起業したりするような優秀な人材もいる。

浙江万向集団の創業者、魯冠球(ルーグアンチウ)の息子、魯偉鼎(ルーウエイディエン)、新希望集団の劉永好(リュウヨンハオ)の娘、劉暢(リュウチャン)は優秀なケースとして知られている。しかし、一人っ子世代で甘やかされて育っており、ブランド品や高級車、贅沢な食事と放蕩の限りを尽くして親が築いた事業を潰してしまう富二代も多く、95%はこのタイプだという人もいる。

企業を守るため、江蘇省などでは富二代を対象にしたビジネススクールも設けられている。

「○二代」という呼称はさまざまな階層に対してしばしば使われており、「富二代」と対を成すものに「窮二代」(貧乏人の二代目)がある。その他、共産党幹部の二代目を「紅二代」、官僚の二代目を「官二代」などと呼ぶ。「紅二代」「官二代」もある意味金持ちの二代目である場合が多いが、親の富だけでなく権力を背景にしている場合が多く、社会的立場の違いから区別して扱われることが多い。

Q 中国にも、古くから続く富豪ファミリーはいるのか?

中国のビリオネアランキングには、いくつもの富豪ファミリーが記載されているが、現在上位を占めているファミリーのほとんどは、改革開放以降に起業し、成功した人々だ。中国は、1949年の建国以降、共産主義の国家として長く計画経済、共有財産を旨としてきた。それ以前に富を築いていた人々が中国で富を維持することは難しかった。ただその中で、共産党に協力することで成功した特殊な例もかつてはあった。

栄毅仁(ロンイーレン)は1979年に中国最大のコングロマリット、中国中信集団(CITIC)を設立した人物で、90年代には国家副主席も務めた。その父親は長江一帯で製粉や紡績によって富を築いた資産家で栄毅仁が継いだが、多くの資産家が国外に逃れる中、建国後も一族で共産主義中国に残留することを選択。財産を共産党に上納して党に協力した。

後に息子の栄智健(ロンヂージェン)はCITICの香港支社に入社、CITICパシフィックの設立にかかわり、取締役会主席も務めた。孫娘の栄明方(ロンミンファン)もCITICパシフィックに入社し、財務部理事などを務めたが、08年の金融危機での莫大な損失に関わっているといわれている。栄毅仁一族は、00年にはフォーブスの中国の富豪50のトップにランキングされたが、05年に栄毅仁が死去。現在は以前ほどの勢いはない。

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編集 = Forbes JAPAN 編集部

この記事は 「Forbes JAPAN No.24 2016年7月号(2016/05/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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