「世界を爆買い」する男、王権林の秘密

王健林はビジネスの手腕だけでなく、筋金入りのサッカーファンとしても知られている。また、歌をうたうのも好きで、会社の年次総会でのステージは恒例になっている。


文化大革命のさなかの69年、王は学校を辞めて森林工業局傘下の営林処の職員となった。森の中で一人、伐採や炭焼きなどをするのが仕事だった。1年余り働いた後、人民解放軍に入隊。アムール川や新疆ウイグル自治区の中国・ソ連国境で紛争が勃発したことから、解放軍は増員を推し進めていた。

軍人となった王は71年には故郷を離れ、吉林省の鴨緑江沿いの地域に赴任し、北朝鮮との国境を守ることになった。王は、進んで偵察兵となり、必要な知識や技術を学ぶと同時に、何より度胸を磨いたという。78年には小隊長に昇進。現場を離れ、大連陸軍学院で1年間学ぶ機会を与えられた。優秀だったが、平気で教本や教師に反論する異端児でもあった。83年からは、遼寧大学の党政専修班で学び、経営管理の学位を取得した。86年の卒業後は軍を離れて大連市西崗区人民政府に転じ、弁公室副主任となった。

転機は88年に訪れる。西崗区政府傘下で数百万元単位の巨額の負債を抱えるデベロッパーがあり、負債を返済できれば、その会社の所有権を得ることができるという情報を入手した王は、軍隊時代の仲間を集めて資金をつくり、見事に負債を返済し、企業経営者へと転身したのだ。これが、万達集団の母体となった。

資金がまだ乏しかった時代、王を支えたのは、軍隊時代に生死を共にした元同僚たちだった。足りない資金は、銀行勤務の戦友を通して調達した。割当制で容易には得られなかった不動産の開発許可は、大連の不動産関連企業にいた戦友から割り当てを譲ってもらうことで、プロジェクトを進めた。

92年、大連万達房地産集団公司を設立し、2008年には本社を大連から北京に移した。商業施設などの開発と経営で富を築き、最近では映画産業やスポーツ産業に投資するなど、万達集団は規模だけでなく、事業の幅も広げている。

万達集団の未来予想図は?

万達集団は、傘下の「万達商業地産」を14年末に香港市場で上場させたが、今年に入って上場廃止を発表した。中国本土A株市場での上場を模索しているのではないかといわれている。

ところで、王には息子がいる。王思聰(ワンスーツオン)といって今年28歳。シンガポールの小学校で学び、中学・高校からイギリスに移り住み、ロンドン大学を卒業した。典型的な「富二代」といっていい。現在は、万達集団の取締役のほか、王健林の出資で設立したプライベート・エクイティ・ファンド「普思投資有限公司」の取締役会長などの肩書を持つ。

ただし世間では、ビジネス上の能力や行動に関してではなく、そのルックスと過剰なほど奔放で憎めない発言によって、すでにSNS上では2,000万人近いファンを持つ有名人だ。

世界の注目を浴びるほど巨大になった万達集団を、この息子が引き継ぐのかどうか。世間は固唾をのんで見守っている。

Wang Jianlin王健林 ワン・ジエンリン◎大連万達房地産集団公司取締役会長。1954年、四川省綿陽市生まれ。15歳で森林工業局営林処の職員となり、翌年軍に入隊。大連陸軍学院で学んだ後、遼寧大学で経営管理を学ぶ。公務員を経て不動産に目覚め、92年に万達を設立した。

文=Forbes JAPAN編集部

この記事は 「Forbes JAPAN No.24 2016年7月号(2016/05/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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