ビジネス

2016.07.15

「ピアスをなくす」ストレスをなくしたい[ウーマン・イノベーターズ 01]

クリスメラの菊永英里 代表取締役


Q4:どんな学生時代を過ごされましたか? 熱中していたこと、その頃からビジョンを描かれていたかなど教えてください。

高校時代は親にアルバイトを禁止されていたので、内職をしていました。図面通りにアクセサリーを組み立てる仕事で、作ったものに対して依頼者にありがとうと言われ、対価をもらえることがとても嬉しかったです。もっと上手くできれば喜ばれ、スピードを上げれば収入が増える。楽しくてやりがいがありましたが、改善できる点も少なくなり、突き詰めた結果、私の時給は500円を超えないことがわかりました。

その頃父に「自分の時間を売るのではなく、仕組みを考えなさい」と言われました。高校生にとって、時給ではないビジネスを考えろと言われたのはとても新鮮でした。

起業家になるためのビジネスアイデアが決まるにつれ、社長には人に必要なのはビジョンを「伝える力」だと気付きました。ところが私はとても内向的だったので、大学ではその克服のためバンドサークルに入り、ボーカルに。最初こそブルブル震えて頭の中が真っ白になりましたが、その経験のおかげで、今では人前で話すこともできるようになりました。

Q5:キャリアや人生を形成するにあたり、影響を受けた人、ものはなんですか?

私は父のようなサラリーマンにはなれない。そして、母のような専業主婦にもなれない。と思っていました。家族が起きる前に家を出て、寝てから帰ってくる父。尊敬していましたが、同じ働き方ができる気はしませんでした。一方で母のように自分の時間もなしに家族のために尽くし、毎日キチンと食卓を保つのも無理––。

そこで、自分のペースで働き、自分のペースで家庭のことをしたいと考えました。父のように“働いて社会に貢献し、お金を稼ぐ”ことと、母のように“子供の近くにいる”ことの両方を60点ずつ叶えられる方法はないかというのを模索し、起業家になることは最善の道のように見えました。ロールモデルが近くにいなかったのが良かったのかもしれません。

Q6:仕事や人生における信条、座右の銘を教えてください。

「意思あれば道あり」という言葉をずっと大切にしてきました。最近は自分なりに考えて「人間は向いている方向に進んでいくのだから、進みたい方向を向かないといいけない」と。事業に関しても「地味でも最後まで立ち続けていることの大切さ」を感じています。

Q7.8:これまでで一番大きな挫折は? それはどのように乗り越えましたか? 得た教訓などあれば教えてください。

一番の挫折は、前述した「自分が何もできない」ことを知ったこと。自分が無知、無力であることを知り、認めることは苦しいことでした。「悔しい! できるようにならなければ!」と思うのが普通かもしれませんが、私は「できるようにならないといけないわけじゃない」と思ったのです。それをしないでいい選択もあるはず、と。

乗り越えないと進めないこともあります。でも、乗り越えないことで、違う道が開けることもあります。電車に乗らない人生を選ぶというのは、我ながらいい選択をしたなぁと思っています。私はそれ以降すべてのことを自ら選択し、責任を持つと決めることができました。無知で無力だからこそ、人の力を借り、多くの人に教わって、育てていただくことができた。「何もできない」と知ったところから私の人生は始まっています。ありがたいことだと思います。
次ページ > 女性だったからこの仕事を選べた

文=フォーブス ジャパン編集部

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事