Close RECOMMEND

世界38カ国、800万人が愛読する経済誌の日本版


当時、とあるイタリア人のエンジニアがバベッジの解析エンジンに関する小論文を発表していた。エイダは友人の勧めでその文章を英語に翻訳した。その話をバベッジにしたところ、「なぜ自分で小論文を執筆しなかったのか」と聞かれてしまった。野心的であったにもかかわらず、自ら解析エンジンの分析をまとめるという考えは、エイダの頭には浮かびもしなかったようだ。

バベッジに勧められ、エイダはイタリア人エンジニアの小論文に付けた広範な訳注の数々をつなぎ合わせ、格言に満ちた注釈書を作り上げた。そして、最終的に重要な文献として評価され、影響力を持つようになったのは、小論文の本文よりもエイダが付けた訳注のほうだった。

そこには、解析エンジンに実行させる計算内容を指定した基本的な命令群も記されていた。これらの命令群は今日、世界で初めて発表されたソフトウェアと見なされている。ただし、そのコードを実際に実行できる計算機が登場したのは、100年も後のことだ。

はたして、このプログラムをエイダが一人で書いたのか、あるいはバベッジがそれまでに考案したプログラムを改良したのかという点については、意見が分かれる。しかし彼女の最大の功績は、命令群を書き出したことではない。バベッジ自身が思いつきもしなかったような、解析エンジンのさまざまな用途を思い描いたことだ。

エイダは、解析エンジンが単なる計算機ではないことを見抜いていた。決まった手順で行われる計算をはるかに超え、ゆくゆくは高尚な芸術作品さえ創作できるかもしれないと考えていたのだ。エイダはこう書いている。

「たとえば、これまで音楽学の和音理論や作曲論で論じられてきた音階の基本的な構成を、数値やその組み合わせに置き換えることができれば、解析エンジンは曲の複雑さや長さを問わず、細密で系統的な音楽作品を作曲できるでしょう」

19世紀半ばにエイダがいかにこのような発想を持つに至ったかは、私たちの想像の域を超えている。そもそも、“プログラム可能なコンピュータ”という概念を理解するだけでも難しい時代だった。当時の研究者たちは、ほとんど誰もバベッジの発明を理解できなかったのだ。しかしエイダは、どういうわけか、その考えを一歩先へ推し進め、解析エンジンが言葉やアート作品をも生み出せるかもしれないという発想に行き着いた。

その訳注が切り開いたアイデアは、まさに今日のネット文化の根幹をなすものだ。たとえば、グーグル検索やデジタル音楽、iTunes、(ウェブページのリンクとなる)ハイパーテキスト。コンピュータは、単にきわめてすぐれた計算機になったのではない。何かを表現したり、作ったりする能力を備えたばかりか、芸術さえも生み出すマシンになったのだ。

バベッジのアイデアとエイダの訳注はあまりにも時代を先取りしていたため、当然ながら、長らく歴史に埋もれていた。

バベッジの知見の大半は、約1世紀を経た1940年代初頭に初の実用的なコンピュータ(解析エンジンのように蒸気ではなく、電気と真空管を動力源とする)が開発された際、バベッジの研究とは無関係な形で“再発見”されることになった。一方、コンピュータは単に計算ができるだけでなく、文化そのものを生み出す芸術のツールにもなるというエイダの発想は、1970年代になるまで広まらなかった。ボストンやシリコンバレーといったハイテク拠点においてさえ、だ。

スティーブン・ジョンソン=文

デルジンガタゾニコンマツダ

PICK UP

あなたにおすすめ