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バベッジが半生をかけて開発した、蒸気機関を動力源とするコンピューターの試作品


19世紀半ばにソフトウェアのコードを書くことなど、タイムトラベルなしには不可能に思えるかもしれない。しかし偶然にも、エイダはそんな仕事を彼女に与えることのできる人間とすでに出会っていた。

その人物とは、多方面で活躍していた才気煥発な発明家、チャールズ・バベッジ(編集部注:「コンピュータの父」と呼ばれるイギリスの数学者。世界で初めてプログラム可能な計算機を考案したことで知られる)。折しもバベッジは、未来社会に通じる「解析エンジン」の設計案をまとめている最中だった。

バベッジはそれまで、最新鋭の計算機の開発に20年を費やしていた。しかし1830年代半ばになると、その後の人生をささげることになるプロジェクトに着手。それは、本当の意味で“プログラム可能”なコンピュータを設計することだった。つまり、当時のどんな計算機の能力もはるかにしのぐ、一連の複雑な演算が可能な機械を作ろうとしたのだ。

解析エンジンは、実用化しようとすれば、ある程度確実に失敗する運命にあった。というのも、デジタル時代のコンピュータを産業化時代の機械部品で作ろうとしていたからだ。しかしコンセプトだけを見るなら、解析エンジンは時代をはるかに先取りするものだった。

その構想はすでに、今日のコンピュータの主要な要素をすべて備えていた。たとえばコンピュータの“頭脳”に当たる中央演算処理装置(CPU)や、格納されたデータにすぐにアクセスするための記憶領域装置(ランダム・アクセス・メモリ)。そして計算機を動かすソフトウェアには、紙のパンチカードが使われた(穴の配置パターンによって機械が実行する計算の手順を指定した)。これは1世紀以上も後にコンピュータをプログラムするために使われた技術とまったく同じだった。

エイダがバベッジに出会ったのは17歳のとき。場所は、バベッジが名士を集めて開いたロンドンの有名なサロン(社交の場)の一つだった。その後、2人は何年も手紙のやり取りを続け、親交を深め、知的な議論を熱心に交わしていた。

1840年代初頭に人生の岐路に立たされたときも、エイダはバベッジに手紙を書いた。それを見ると、バベッジが自分をオッカムでの物足りない日々から救い出してくれるかもしれない、というエイダの期待がうかがえる。

「折り入って、ご相談したいことがあります。実は、ずっとこんなことを考えていました。近い将来、あなたが私の頭脳をご自身のお仕事に役立ててくださるような気がしてなりません。もしそのようにお考えで、私の能力何かがお役に立てるようでしたら、喜んでお力添えしたいと思います」

バベッジは結果的に、エイダの極めて優秀な“頭脳”の使い道を見つけた。そして2人の共同研究は、コンピュータ史の礎となる一つの文書を生み出した。

スティーブン・ジョンソン=文

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