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エイダが10代のころ、母親のアナベラ・バイロンは進んで娘に数学を勉強させた。家庭教師を何人も雇い、代数や三角法を習わせたのだ。女性がロンドン王立協会(ロイヤル・ソサエティ)のような重要な科学学会から締め出され、根気のいる科学的な思考は女性には無理だと考えられていた当時では、急進的ともいえる教育方針だった。

しかし、アナベラが娘の数学の能力を伸ばそうとしたのは、ある思惑があったからだ。現実的で論理立った数学という学問を学ぶことで、死んだ父親の危険な影響が打ち消されることを期待したのだ。数学の世界が、娘を芸術という放蕩(ほうとう)から救ってくれるはずだと。

アナベラの計画は、しばらくは功を奏しているように見えた。しかし、3人目の子どもが幼児期を過ぎるころになると、エイダはビクトリア時代の母親に課せられた役割に物足りなさを感じ始め、再び数学の世界に足を踏み入れるようになる。

当時の彼女の手紙には、“ロマン主義”的な野心と、数学的思考への強い確信が奇妙に入り交じっている様子が見て取れる。エイダは、父親のバイロン卿が禁じられた愛について書いた際と同じくらい情熱的に、生き生きと、(そして自信たっぷりに)微分法についてこう書いている。

「私には人と感覚の異なるところがあって、ほかの人にない特殊な能力があります。それは、隠れた物事-視覚や聴覚などの感覚では感じ取れないもの-を直感で認識できるということです。この能力だけでは、たいして役に立たないかもしれません。けれども私は、それに次いで、優れた論理的思考力と集中力も持ち合わせているのです」

1841年の後半になると、家庭生活と数学への情熱のはざまで生じた心の葛藤は、重大な局面を迎える。母親のアナベラから、バイロン卿が生前、異母姉との間に娘をもうけていたことを聞かされたのだ。つまりエイダの父親は、当時、最も悪名高い作家であったばかりか、近親相姦の罪まで犯していたということだ。そして、このスキャンダラスな関係から生まれた娘は、エイダが長年知っている少女だった。

アナベラがこの話をエイダにしたのは、バイロンが“人でなし”であったという決定的な証拠を示し、父親のように反抗的で常識はずれな生き方をすれば、身の破滅を招くと警告するためだった。

こうしてエイダは25歳のとき、2つのまったく異なる生き方に直面し、人生の岐路に立たされることになった。一つは男爵夫人として安定した暮らしを選択し、従来の貴族社会という枠組みのなかで生きていくこと。もう一つは、「人と感覚の異なるところがある」ことを受け入れ、自分の特殊な才能を活かせる独自の生き方を模索することだ。

言い換えるなら、それは父親の生き方と母親の生き方のどちらかを選ぶことを意味した。それまで通りオッカムの屋敷に腰を落ち着けて生きていくほうが簡単なのは言うまでもない。ただ、エイダはバイロンの娘であり、次第に従来の常識的な生き方を選ぶことなど考えられなくなっていった。

ところが、エイダは幸運にも、人生の行き詰まりを回避する道を見つけることになる。父親を破滅へと追いやった混沌とした創作の世界に取り込まれることなく、ビクトリア朝社会の限界を打ち破る道筋を見つけたのだ。それは、自分に劣らず時代の先を行く、ある優れた頭脳の持ち主と協力することだった。

こうして、エイダは世界初のソフトウェア・プログラマーになった。

スティーブン・ジョンソン=文

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