暮らしを変えるチャットの未来と、知られざる先駆者

キックの創業者、テッド・リビングストン(photograph by Michel le Gibson)


リビングストンは、本誌の「30アンダー30(30歳以下の30人)」に選ばれたこともあるIT業界の期待の新星だ。彼は現在、来るモバイル社会を支えるテクノロジーの構築に励んでいる。ウォータールー大学の建物は、元は彼がかつて勤めていた「ブラックベリー」が所有していた。だが、財政難に陥った同社は2年前、約26万平方メートルの不動産を売却。16棟のビルのうち5棟をウォータールー大学が取得したのだ。

リビングストンは「キックがブラックベリーの二の舞いになること」は何としても避けたいと考えている。スマートフォン市場を牽引していたブラックベリーのピークは09年。その存在感は、iPhoneやサムスンが市場を席巻すると急速に失われていった。だが経営陣は、製品に対する過信から自社のプラットフォームが時代遅れになっていることに気付かなかった。リビングストンは同様の過信で道を誤りたくないのだ。

「キックだって、明日には消えてしまうかもしれない。だから、自分のライフスタイルを変えるつもりはない。過度な期待はしないようにしているんだ」

キックのオフィスは、会計事務所とマッサージ治療院に挟まれた平屋の一室。創業当初から変わっていない。いつ手放すことになるかわからないから、広いオフィスなど必要ないのだという。

リビングストンは、投資家の父とMBAを取得した芸術家の母の間の4人兄弟の1人として、トロントで育った。転機が訪れたのは、“カナダのMIT”の異名を持つウォータールー大学に在学中のことだ。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったブラックベリーで正社員として雇われた。それがある晩、上司にバーに連れ出されてこう言われた。

「ブラックベリーは厄介なことになっている。君は起業すべきだ。ここのプロダクト・マネジャーのように予算獲得のために張り合うようなことはするな」

リビングストンはこの助言を受け入れた。大学を中退し、起業支援プログラムに60人の学生とともに参加したのだ。

キックは、ブラックベリー向けの音楽プレーヤーアプリとしてスタート。そのチャット機能を無料のメッセージアプリとして独立させ、10年10月に「キック・メッセンジャー」としてリリースすると、ダウンロード数は3週間で200万回を突破。あらゆるプラットフォームの中でトップとなった。スティーブ・ジョブズも初期のユーザーだったらしい。

災難に見舞われたのは1カ月後。もともと、自社のメッセージアプリ「BBM」をアップルのiOSやグーグルのアンドロイドでも使えるようにすることを拒否していたブラックベリーが、「BBMのアイデアを盗んだ」としてリビングストンを訴えたのだ。ブラックベリーのサーバーから削除されると、キック・メッセンジャーのユーザーはあっという間に3割も減り、ネットワーク効果でさらにユーザー離れが加速した。

「みんなワッツアップに流れていったんだ!」と、リビングストンは怒鳴った。「キックこそ“最初のワッツアップ”になるはずだった。それなのに、彼らに何もかも持っていかれたよ」

13年にブラックベリーとの和解が成立し、登録ユーザーが世界中で2億7,500万人を超えても訴訟の傷は癒えていない。ブラックベリーのアプリストアに戻ってOS「BB10」の普及に一役買って欲しいという誘いもあったが断った。「悪いけど、ブラックベリーの時代はもう終わったんだ」
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文=パーミー・オルソン

この記事は 「Forbes JAPAN No.23 2016年6月号(2016/04/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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