ビジネス

2016.06.18

元アップルジャパン社長が明かす「トップを走り続ける」秘策

山元賢治 / yOU(河崎夕子)=写真

「なりたい自分」をデザインする

IBM、オラクル、アップルなど外資系企業の責任者として活躍後、現在は自社でリーダー育成と英語教育に心血を注ぐ山元賢治氏。トップをひた走る秘訣を聞いた。

-外資系のトップとして長くご活躍された山元さんにとって、リーダーになる人の素養とはなんですか。

情熱を注いで仕事ができるかどうかです。僕はアップル時代もいまも、毎朝遅くても6時までには出社して雑務を片付けてから仕事をしていました。夜は19時にはオフィスを出ていましたが24時間臨戦体制でした。だいたい日本はエネルギー資源のない国なんだから、日の出とともに起きて仕事すべき。講演会でもよく言うんですが、スティーブ・ジョブズが“9時5時”に感じますか?(笑)グローバルに活躍する人は、情熱を持って、目標に向かって、仕事する。だから人もついてくるし、結果として成功するんです。

もうひとつ重要なのが、即断即決できるかどうか。IBMに在籍していたころ、20代でマネージャーへの昇進話が持ち上がりました。まだ技術者として活躍したかった僕にIBM本社から来た要人が言ったのが、“Make a decision in a second.”。いまでもこの言葉が、僕の仕事の基本です。

-山元さんは常に未来の自分を想像して行動されていますよね。神戸大学工学部システム工学科に入学したのも、IBMに入社できる学部を探して決めたのだとか。

僕だけじゃない、昔の日本人は貧しかったから、どんな大人になろうか早いうちから考えていたんですよ。コンピュータがいいと思ったのは、私は物理が大好きだったから。記録力と計算力に優れているコンピュータと人間が共存する世界をつくりたかった。大学を卒業するときに担当教諭から「日本企業を救え」と言われたんですが、「先生、私はIBMに入社するために、この大学に来たんです」と生意気なことを申しまして(笑)。でもその先生がいちばん長いこと手紙をくれましたね。

-早くから50歳で引退を考えていたそうですね。しかも「平成の坂本龍馬を育成したい」と、いまの会社を設立された。

30年がむしゃらに働いて、家のことや子育てをすべて女房に任せっぱなしだったので、まずは女房孝行したかった。それで50歳を機にアップルを退社して、毎週のように女房と旅行やゴルフ、映画に行きました。でも1年半経ったころに「そろそろ仕事しようかな」と言ったら、「どうぞ!」と(笑)。

50歳で引退を考えていたというと、「早期リタリアで悠々自適な生活」をイメージされるかもしれませんが、そうではなく、限られた命をどう使うか、自分の人生をデザインするってことなんです。いまは自分の貴重な経験をもとに、ビジネスで成功を収めたい、世界に羽ばたきたいという社会人や学生を育成するための「山元塾」を開いています。リーダー育成のための山元塾や英語塾を開催したり、全国で講演会を開催しています。

-塾生にいちばん教えたいことは?

「なりたい自分」をデザインすること。その実現のために時間を有効に使うこと。たとえば1日1時間、他人より深く考える時間やテーマを持っている人は、10年で3,000時間以上差が出る。あとは「なりたい自分になるために、何をやめるか」を考えることも大切です。考えなしの悪習慣を改善するだけでも夢に近づくものなんですよ。

やまもと・けんじ◎1959年、大阪府 生まれ。神戸大学卒業後、日本IBMに入社。EMCジャパン副社長、日本オラクル取締役専務執行役員を経て、2004年、アップル・ジャパン社長兼米国アップルバイスプレジデントに。12年、コミュニカ設立。

構成=堀香織

この記事は 「Forbes JAPAN No.23 2016年6月号(2016/04/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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