こうした各ブランドによる突然の「愛国心」の表明は、一体何を意味しているのだろう。各社はいずれも、センセーショナルな話題を作り、メディアを通じて注目を集めたいと考えるような企業ではない。業界最大手であり、国内市場の中心的な存在なのだ。
ひねくれていると思われるだろうが、私はあえてこう考えてみた──「“悪者は米国”といわれるこの時代に、これら各社が危険を冒してまで“米国”を支援するのはなぜだろうか?」
大統領選の候補に残っている顔ぶれには、がっかりするばかりだ。彼らをみていても、愛国心などわいてこない。だが、今年は大統領選があるだけでなく、オリンピックが開催される年でもある。つまり、これらのブランドは賢いやり方で、自己嫌悪に陥っているわれわれの心をくすぐっているのだ。米国民の愛国心を呼び起こすという、政治家たちが恐らく自己陶酔しすぎて、あるいは怖がりすぎてできないことをやってのけているのだ。
「私は、私に、私の」を叫ぶ候補者たち
今回の大統領選では、政治方針やさまざまな問題について話されることがほとんどない。すべてが、候補者個人に関する議論に矮小化されてしまっている。
ドナルド・トランプのスローガン、「米国を再び偉大な国にする」が暗に示すのは、現在のわが国は偉大ではないということだ。そして、このフレーズには言外に、「私が」という一言が付いている。トランプは国民に行動を呼びかけているのではない。これは、ドナルド・トランプという“手段”によって実現が期待できるとされる「結果」なのだ。
ヒラリー・クリントンも大差はない。彼女のホームページには「米国民が収入を増やす方法」のタイトルが掲げられている。トランプと同様に、国民に行動を呼びかけている訳ではない。そこにはヒラリー・クリントンという一つの“方法”によって、期待し得る結果が記されているだけだ。