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2016.05.19

「羽田ーアメリカ直航便」はなぜ遅れてきたのか

Adam Hester / gettyimages


ふさわしい国際空港の実現へ

こうして「首都・東京にふさわしい行き先」という限定句をつけて行き先も自由となった。ただし、航空交渉が必要なため、あくまでも相手国との合意が前提となった。こうして羽田再国際化が決定されたのが、08年である。10年には羽田の4本目の滑走路の供用開始とともに昼間時間帯の東アジア路線が設定されたが、当時欧米路線は深夜早朝時間帯に限られていた。14年には増枠が実現し、昼間時間帯の行き先が欧州便も含めて大幅に拡大された。しかし、その時点では、昼間時間帯の羽田-アメリカ直行便は実現しなかった。現在でも、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ハワイ路線が羽田から深夜早朝時間帯に飛んでいる。

実は、ニューヨーク路線もアメリカン航空が就航させていた時期(11年2月〜13年12月)がある。羽田発JFK行きが朝6時40分に出発、JFK発羽田着が22時15分到着という時間帯で、需要が伸びず撤退に至った。

もちろん14年までに、日本側は昼間時間帯も含めた日米航空交渉を要請していたのだが、アメリカ側の3社(アメリカン航空、デルタ航空、ユナイテッド航空)の間の調整がつかず、交渉が妥結しなかったのである。第二次世界大戦直後からの歴史的な経緯から、成田に強力なハブを保有しているデルタ航空が羽田-アメリカ便の拡充に強力な政治力を行使、反対論を展開したためである。デルタ航空は表2からわかるように、日米路線では戦後70年を経た今も、単体としては日本航空(JAL)や全日本空輸(ANA)を上回る発着枠を持っていて、アメリカから成田経由アジア路線のハブとして強固な地位を誇っている。
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自国の主要空港で、他国の航空会社が最大シェアを誇る、というのは異例である。今回の決定の意義は、米政府がようやくデルタ航空の反対を押し切ることができた、ということである。

こうして、06年の議論開始から10年を経てようやく安倍政権の成長戦略のひとつが完成した。20年のオリンピックに向けては、運用の改善で、羽田の国際線枠はさらに拡充が予定されている。ようやく日本と東京にふさわしい使い勝手のよい国際空港が実現する。

伊藤隆敏◎政策研究大学院大学教授、コロンビア大学教授。一橋大学経済学部卒業、ハーバード大学経済学博士(Ph.D取得)。1991年一橋大学教授、2002年〜14年東京大学教授。近著に『日本財政「最後の選択」』(日本経済新聞出版社刊)。

伊藤隆敏 = 文

この記事は 「Forbes JAPAN No.22 2016年5月号(2016/03/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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