Q:近年、欧米のビジネススクールでは哲学の講義に力を入れるようになっています。なぜだと考えられますか?
西條剛央(以下、西條):もともとビジネススクールは、実証主義的な、科学的なエビデンスに基づく経営というものを重視しています。でも、よく考えれば、その限界はすぐにわかります。
なぜかと言うと、経営学とは社会科学であり、社会科学と自然科学の違いというのは、「物質」と「社会」の違い、と言えばわかりやすいかもしれません。水は変わらないけれど、社会は変わる。どんなに厳密に統計を駆使しても、社会そのものが変わってしまったら、その知見は一般化できなくなるんです。
例えば、2010年に原発の意識調査を行って、それが統計的に一般化できる知見として提示されたとしても、それは今の社会に一般化できるかと言えば、できない。11年を境に社会全体が変わってしまったからです。
Q:西條先生も「組織と哲学」という講義を担当されていました。具体的にどんなことを教えていらっしゃったのですか。
西條:私は「構造構成主義」という、物事の本質をとらえる学問について研究してきました。「科学とは何か」「方法とは何か」といったことについて、社会の状況がどんなに変わっても、この考え自体は普遍的だといえるものを追求する。例えば、時代が激しく変化するいま、「特定の方法」の有効期限はどんどん短くなっています。しかし、「方法の有効性は状況と目的に応じて変わる」と“方法の本質”には例外がなく、いつの時代、どこの文化でも使うことができます。
授業でも、物事の本質を掴むための「思考法」を身につけられるよう実践的な演習を行っていました。例えば、「挨拶」とは何か。ある人にはするけれど、皆にするわけではない。でも、挨拶がない国ってきっとない。登山をしているときには比較的挨拶をするけれど、道端で突然挨拶をしたら驚かれる場合もある。挨拶って何なのだろう?人はなぜ挨拶をするのだろう?
授業では、そうした問いを投げかけていました。そのとき得られた答えが、「相手の存在を肯定する最も簡単なサイン」というものでした。
そう考えると、職場で挨拶をしないというのは、いちばん簡単な存在承認すらしていない、ということになる。いわば存在否定をしているわけですから、そんな職場が、うまくいくわけがない、ということを論理的に理解できるようになります。