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16世紀のビウエラのレプリカ。設計:水戸茂雄、制作:堤謙光。弦長54センチ。サウンドホールには薔薇窓の装飾が羊皮紙で裏打ちされ、四隅には寄せ木細工の装飾がある。(photo by Shigeo Mito)

趣味で古楽器を弾く。「ふるがっき」ではなく「こがっき」と読む。通常、中世からルネサンス、バロック期に使用された楽器のことである。

もともとクラシックギターを弾いていたのだが、20年ほど前、左手にけがをして握力が足らなくなってしまった。それがきっかけで、リュートという古楽器を練習することにした。アラビア起源のウードという楽器がヨーロッパに渡ってリュートとなり、16世紀に盛んに演奏されるようになった。同じものが中国に渡って琵琶になったのだ。

リュートは特にエリザベス朝のイギリスで盛んに演奏された。独奏にも伴奏にも活躍した楽器である。時代を同じくするシェイクスピアの劇でも出番が多い楽器だ。別にエリザベス朝やシェイクスピアに興味があったわけではないのに、リュートを学び出してからこの時代の社会や芸術に興味が出てきた。

リュートはルネサンス期のイギリス、ドイツ、フランス、オランダなどで使われたが、同時代にスペインでは別の楽器が流行していた。ビウエラという。実はこの楽器、リュートとまったく同じ調弦だ。ただし、リュートは低音の弦がオクターブで張られるが、ビウエラはユニゾン(同音)である。さらに、リュートは洋梨を縦に切った形であるが、ビウエラはのっぺりしたギターのような形である。初見では「格好悪い楽器だな」と思ったが、だんだん美しく見えるようになってきた。美意識は不思議だ。

なぜスペインではリュートではなくビウエラが弾かれたのか。諸説あるが、決め手はない。スペインは1492年までイスラム王朝に支配されていた。16世紀のスペインではアラビア風のものを排斥しようという傾向があり、アラビア起源のリュートを弾くのが憚られたのかも知れない。

とはいえ、調弦も同じで同じ曲が弾けるのだから、形を変えて違う楽器のふりをしていただけなのではないかと勘ぐってしまう。理由はどうあれ、楽器というものは形が変わると響きも変わる。愛の歌が似合うリュートに比べて、ビウエラはより宗教的な響きがする。

水戸茂雄さんというリュートとビウエラの演奏家がいらっしゃる。あるとき、水戸さんの演奏会で「おお、栄光の聖母」というビウエラの変奏曲を聴き、どうしてもビウエラが欲しくなった。とは言え、そのへんに売っている楽器ではない。水戸さんのつてで、ビウエラを制作している職人さんにつくってもらった。できるまで2年待つ間、16世紀のスペインのことを読んだ。

天正の遣欧使節の少年たちはヨーロッパでリュートとビウエラを習った。秀吉の前でスペイン16世紀の作曲家ナルバエスの「千々の悲しみ」を演奏すると、秀吉は同じ曲を3回もリクエストしたそうだ。僕もビウエラを入手するや否や、この曲を練習した。500年も前の曲を自分の力で再現できる、というのが素晴らしい。その後いろいろな音楽様式が生まれたけれど、僕たちは500年も前の音楽をそのまま味わうことができるのだ。再び、美意識は不思議だ。

去年長崎に行く機会があり、そのとき訪ねた大浦天主堂はビウエラの響きが似合いそうだった。「おお、栄光の聖母」の原曲は賛美歌で、長崎の隠れキリシタンの間で「おらしお」として歌い継がれてきたという。確かに、メロディーが似ている気がする。

ビウエラをきっかけに、日本の隠れキリシタンに興味を持つようになった。その人たちの信仰と、音楽で信仰を保とうとする気持ちに触れた。僕は無神論者ではあるが、信仰心がつくる文化に美を感じる。

最近出版された『みんな彗星を見ていた―私的キリシタン探訪記』(星野博美著)という本がある。表紙にはビウエラを弾く女性が描かれている。著者は隠れキリシタンの運命を追ううちにリュートに興味を持ち、現在もレッスンに通っているという。

読売新聞でこの本を書評した出口治明さんは「リュートがタイムマシンになって星野さんをキリシタンの時代に連れていったのだ」とおっしゃる。確かに、古楽器を練習すると当時のことを知りたくなる。このような音を慈しんだ時代とはどういう時代だったのかと。楽器はタイムマシンである。

岡ノ谷一夫◎東京大学大学院総合文化研究科教授。心理学の生物学的な研究を進めている。趣味でルネサンス時代の楽器リュートとビウエラを弾く。著書に『「つながり」の進化生物学』(朝日出版社)など。

文=岡ノ谷一夫

 

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