スリングスビーが学生時代を送った2000年前後は、世界で感染症対策への関心が高まっていた時期と重なる。
00年代前半、HIVによる年間の死亡者数は、100万〜200万人に上ったと見られている。HIVはアジアやアフリカといった途上国だけでなく、先進国でも患者数が増えていた。そのことが先進国の危機感を煽り、対策を急がせた。
一方で、取り残されていた病気がある。「顧みられない熱帯病」と呼ばれる、熱帯地域で蔓延している感染症だ。NTDsの感染者数は世界で約10億人と言われる。全世界の人口約70億人のうち、7人に1人が感染している計算になる。
住血吸虫症(じゅうけつきゅうちゅうしょう)のような寄生虫によって内臓疾患をもたらす感染症や、象皮病を発症するリンパ系フィラリア症やリーシュマニア症のように外見が変化してしまう病気は、命を落とさないまでも、感染すれば職を失ったり、生活に大きな支障をきたしたりする。ただ、こうした病気は衛生環境の整わない貧困地域に多く、途上国に分布が偏るだけに、HIVほど先進諸国の関心を引かなかった。
だが、10年前後から世界保健機関(WHO)が製薬業界への働きかけを始める。当時、国際製薬団体(IFPMA)会長をしていたエーザイの内藤晴夫CEOは、こう振り返る。
「WHOやグローバル製薬企業との対話の中で、グローバルヘルスに製薬産業全体で取り組まなければいけないという機運が高まっていきました」
10年、スリングスビーはエーザイに入社。途上国・新興国向けの新薬開発・アクセス戦略を担当する。同年、WHOからエーザイに、リンパ系フィラリア症の治療薬であるDEC(ジエチルカルバマジン)の無償供給の依頼が舞い込む。このプロジェクトの立ち上げをリードしたのがスリングスビーだった。
エーザイの内藤CEOは、当時をこう振り返る。「インドにある最新鋭の工場でDEC錠を22億錠製造し、無償で提供することを決めました。スリングスビーは当初から、熱帯病の制圧には新薬が必要だと訴えていました」
だが、新薬開発には、人的にも資金的にもリソースが必要だ。スリングスビーは官民パートナーシップによる開発スキームの構築を模索し始めた。
11年11月、スリングスビーは山田忠孝とランチに出かけた。山田は医師であり、グラクソ・スミスクラインの開発部門のトップを経て、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(以下、ゲイツ財団)のプレジデントを務めたキャリアを持つ。当時、武田薬品工業の取締役をしていた。山田とは親子ほどの年齢差があるが、スリングスビーは良き相談相手として慕っていた。
「エーザイ1社だけではなく、日本全体として途上国の感染症にどう対処したらいいのか」
「日本の製薬メーカーが持つ創薬技術を、感染症対策に生かせないか」
政府と企業、ゲイツ財団の三者協業による新薬開発スキームのアイデアが見えてきた。政府と民間が資金を折半で拠出し、NTDsを中心とする感染症の新薬開発プロジェクトに投資するというものだ。
製薬各社の協力を得るため、スリングスビーはエーザイの土屋裕代表執行役と各社を回る。当初はアステラス製薬、エーザイ、塩野義製薬、第一三共、武田薬品工業の5社が、後に中外製薬も賛同し、各社が年間1億円ずつ拠出することを決めた。
一方、ゲイツ財団には山田の伝手でコンタクトを取った。政府には、グローバルヘルスに力を入れる参議院議員の武見敬三が働きかけた。こうして製薬各社、ゲイツ財団、外務省、厚生労働省が総額100億円を拠出することで合意する。
山田とのランチから約半年後の12年6月、外務省、厚生労働省と製薬各社の担当者レベルで、13年4月の立ち上げに向けた「GHITFund(ジーヒット・ファンド)」の設立準備委員会が始まった。