社員をイノベーターに変えるアドビの「魔法の箱」

アドビのレッドボックス(ラミン・ラヒミアン = 写真)


キックボックスは、イノベーションをもたらすだけでなく、参加者のキャリアにも変化を与えている。

学校など教育機関向けのマーケティング担当者だったマイク・マクヒュー(44)は3年前、キックボックスの第1回のワークショップに参加した。最初に考えたアイデアは失敗に終わったが、半年後に別のもので再び挑戦し、今度はブルーボックスまで進んだ。そのアイデアとは、「お絵かきのSNS」。インスタグラムのイラスト版といえばよいだろうか。

マクヒューは1年ほどかけて約150回の打ち合わせを重ね、テスト用のプロダクトを開発し、iPhoneやiPad向けなどいくつかの異なるバージョンをテストした。残念ながら商品化にはいたらなかったが、このプロジェクトを通して、マクヒューはプロダクト・マネジメントの才能が評価され、社内で新しいポジションを勝ち取った。なんと、同社の看板製品である「クリエイティブ・クラウド」のシニア・プロダクト・マネジャーに昇格したのだ。

「キックボックスの経験がなければ、僕の昇進はなかった」と語るマクヒュー。だがイノベーションを生み出す過程では、こんな苦しみもあったと打ち明ける。

「自分がやりたいことと、検証で得られたデータを分けて考えるのが難しかった。自分はアイデアの生みの親であり、『こうしたい』というこだわりがあっても、ユーザーがそれを望んでいないことがある。そういうときは、自分の気持ちをいったん置いて、データが示す形を試してみるという気持ちの切り替えが必要。そういうことは何度かありましたね」

キックボックスの評判は次第に口コミで広がり、アドビは昨年2月に同プログラムをオープンソースにした。今では、誰でも同社のウェブサイトから資料をダウンロードできるようになっている。ランドールによると、数千社がダウンロードし、その中にはIT業界以外にも、金融や通信、航空業界の有名な会社が含まれているという。

キックボックスがどんなイノベーションを巻き起こしているのか、ランドールには知る由もない。だが、マクヒューのようにキャリアチェンジを成功させる人間が出てきていることが、キックボックスの効果を物語っているとランドールは考えている。「キックボックスの目的はイノベーションを起こすことではありません。その前に、イノベーターを作ることなのです。イノベーターがたくさん生まれれば、最初は失敗しても、そこから学習し、いつかイノベーションを起こせるはずです」


参加者の一人、マイク・マクヒューは「自分がやりたいことと、検証で得られたデータが食い違っていた場合、自分の気持ちを切り替えるのが難しかった」と語る。

増谷 康 = 文

この記事は 「Forbes JAPAN No.20 2016年3月号(2016/01/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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