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Nejron Photo / shutterstock

2015年12月、私は日米関係の一つの時代の終わりを象徴する2つのイベントに出席した。1つ目はスタンフォード大学の名誉教授で、15年7月に77歳で亡くなった青木昌彦教授の生涯を記念するスタンフォード大学での会議。2つ目は、コロンビア大学の日本政治の専門家、ジェラルド・カーティス教授の75歳での引退を記念するコロンビア大学のシンポジウムである。

筆者は、1971年にスタンフォード大学からの交換留学生として慶応大学に在学したが、その際に客員教授をされていたカーティス教授の日米関係論ゼミを受講し、初めて先生にお会いした。当時、日本の大学で日本の政治を日本語で教えられるアメリカの学者は少なく、先生はその点でもパイオニアであった。

青木教授に初めてお会いしたのは、筆者がハーバード大学大学院生であった79年に、先生が客員教授として教鞭を執られていたときだった。その後、先生は比較制度分析という新しい経済学へのアプローチを発展させ、ノーベル経済学賞を受賞する可能性が最も高い日本人として有名になった。

そして、両教授が学者として活躍された60年代〜2000年代初頭、日本はGDPが世界第2位の経済大国であり、民主主義と経済力を併せ備えたアジアのリーダーで、アメリカの東アジアにおける国家安全保障戦略の要であった。その後の日本の世界での立ち位置は変化しつつある。そうしたなか、日米関係も昨年は第二次世界大戦終戦70周年を迎えたが、過去40年間で大きな変化が見られる。

第一に、日本はアジアにおいて、圧倒的な経済大国とは言えなくなった。GDPでは10年に中国に抜かれ、インド、韓国、東南アジア諸国の多くとは、経済力の差が縮まっている。そのため、人口問題(人口減、低出生率、高齢化)と巨額の政府債務を考えれば、日本が80年代〜90年代までのような経済的優位性を持った超大国に再びなることは難しい。

第二に、50年代や60年代はアジアのほとんどの国が独裁政権に支配されていた。だがその後、民主化の動きが、韓国や台湾、そして多くの東南アジア諸国に広がった。かつて終戦直後から60年代までは、アメリカがアジアで民主的価値と制度を共有している国として挙げられる同盟国は、ほぼ日本だけであった。しかし、90年代の冷戦終結もあって、現在ではアジアの多くの国がそう主張している。

第三に、冷戦下では、アメリカがアジアで軍事的な安全保障同盟を形成する明確な枠組みが存在した。すなわち、ソ連、中国、北朝鮮、北ベトナムは敵対国であり、日本、韓国、オーストラリアなどが同盟国であった。しかし、冷戦終結によって、より複雑な安全保障上の問題が発生している。ますます進展するアジアの統合、宗教紛争の増加、非国家主体の台頭、そしてサイバーテロである。

これらのアジアにおける経済、政治、安全保障上の環境変化が、日米関係のさまざまな課題を生んでいる。カーティス教授と青木教授は日米関係強化に数々の貢献をされたが、その中でも知的な対話を促進し、両国の学生とリーダーの育成に大きな貢献をされた。それを考えると、この20年間のアメリカへの日本人留学生数の激減は大きな懸念材料である。

米国政府によればアメリカへの留学生数は、15年2月の時点で次の通りである。中国から33万1,371人、インドから14万6,336人、韓国から8万7,384人、そして日本からは2万6,187人である。それ以外のアジア諸国からは18万3,588人来ている。つまり、アメリカにいる日本の留学生は韓国の30%、中国の8%、アジア全体の3%でしかない。97年にはアメリカへの留学生が世界のどの国よりも日本人が多かったことを考えると、現在の若者人口の減少を考慮にいれたとしても、激減していることが分かる。

急激に変わりつつあるアジアにおける経済、政治、安全保障の状況を考えれば、日米間の理解と信頼を維持することが重要であり、そのためには、日本は、カーティス教授と青木教授が過去40年間行ってきた重要な貢献、すなわち、日米間の知的対話と人的交流の強化を継続することが不可欠である。


グレン・S・フクシマ◎米国先端政策研究所(CAP)の上席研究員。米国通商代表部の日本・中国担当代表補代理、エアバス・ジャパンの社長、在日米国商工会議所会頭等を経て現職。米日カウンシルや日米協会の理事を務めるなど、日米関係に精通する。

文 =グレン・S・フクシマ

 

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