歴史家であるジェームズ・トラスロー・アダムズは、アメリカン・ドリームを次のように定義している。社会階層や境遇に関わらず、「能力や業績に応じて全ての人にチャンスが与えられることで、だれにとっても人生はより良く、より豊かで、より充実したものになっていかなければならない」。そう、懸命に働き、教育を受けることは必要であり、それをすれば祖父母や親の世代よりはよい暮らしが”保証”されていたのだ。
ところが、アメリカ人の間で何世代も受け継がれてきたこうした考えが、ここにきて急に終焉を迎えたようだ。アフルエンザ(豊かさ病)にかかっているとされる富裕層ですら、子孫にアメリカン・ドリームを保証することはできなくなっているようなのだ。
我々ベビーブーマー世代はアメリカン・ドリームを受け入れていた。それが本物だったからだ。私自身、祖父母や親の世代に比べれば、社会経済的には高い水準で生活していると認識していた。私は懸命に働いたし、大学も出たし、良い仕事も得た。家を買い、その後もっと大きな家を買い、さらに大きな家も買った。ところが、同時にもう1つの現象が起きている。
ミレニアル世代は親世代とは違い、人生の目標として”より大きく、より良く”という価値観を必ずしも評価しない。金銭面についても我々とは違う見方をしている。
世代間の違いがあることは分かる。ミレニアル世代は世界とつながって育った一方で、政党や宗教、軍、結婚といった主要な社会的制度とはつながりを持たずにきた。家や学校にはコンピューターがあり、手には携帯電話やタブレットが握られ、身体にはタトゥーが彫られている。
ところで、我々はこの世代を、何にでも疑問を持つようにと教え込んできたこともあって、彼らはその通りに育った。ピュー研究所の調査によると、ミレニアル世代の特徴は「自信家で、自己表現に長け、リベラルで、陽気で、変化を受け入れる」。しかし彼らの人生はこれまで、必ずしもバラ色ではなかった。彼らは我々が”権威”にひれ伏して働く様子を見、レイオフ中には、人生の苦境への不平や、どれほど自己犠牲を強いられているか話すのを聞いていた。
そして彼らは不況期を生きるなかで、我々がレイオフされて、引退することもできず、率直に言えばパニックを起こしているさまも見てきた。やがて彼らも大きな借金を背負って大学を卒業、幸運にも”ホテル・ママ&パパ”に居住できたり、さらに幸運にもスターバックスでの職を得ることができたりすれば、感謝すべきだと言われてきた。そして、悲惨な失業や不完全雇用が、彼らの期待感を形成した。