Close

Forbes JAPAN 会員登録で
3,000円分のギフト券が当たる!

PICK UP

記事が気に入ったら
いいね!しよう

LIKE @Forbesjapan

Forbesjapanを
フォローしよう

FOLLOW @Forbesjapan

世界37カ国、700万人が愛読する経済誌の日本版




伝統的に男性中心のイメージが強い自動車業界で、今年1月付で「初の女性CEO」となったGMの叩き上げ、メアリー・バーラ。だが、タイミングは最悪だった。前代未聞の大量リコールに、隠蔽疑惑。すべての責任を負うことになった、バーラが進める再建策とは。

「古いGM」から「新しいGM」へ
 リコール問題の後処理に追われるいま、“GMの顔”を務めるのは容易ではない。彼女はCEOに就任してわずか2 週間後の1月31日にリコールを知り、それ以来、この問題の対応に当たってきた。2月7日に160万台のリコールを発表し、さらに2度にわたり台数を追加。最終的には今年だけで1360万台のリコールを実施した。

 この危機は、奇しくもバーラのリーダーシップを測る物差しとなった。リコール発表以来、バーラは外部の弁護士を雇い社内調査を主導するなど、危機に対して後手に回らないよう努めてきた。また、被害者家族への賠償対応策を検討するべく、01年の同時多発テロやハリケーン・カトリーナの犠牲者の賠償を扱ってきた敏腕弁護士を迎え入れた。
 就任3カ月後の5月16日には、米運輸省高速道路交通安全局に対し賠償金の限度額である3500万ドル(約35億円)の民事制裁金を支払い、車両安全性の見直しに関する月次報告書を提出することも約束した。
「議会での証言やメディア対応などバーラの事態収拾能力により、彼女への信頼感が増している」ティム・ソルソ会長はそう話す。(中略)

最初の勤務場所はプレス工場
 バーラはデトロイトの北に位置する中産階級の町、ウォーターフォード・タウンシップで育った。自動車メーカーの城下町という環境からごく自然に、この業界に入った。それは、同世代の多くと何ひとつ変わらぬ選択だった。父親はかつて存在したGMのポンティアック部門で金型工として勤務していた。
「私たちの父親はみな、ポンティアック部門で働いていた」と、バーラの高校の同級生であり、元GM幹部のトロイ・クラークは話す。

「親同士はみな一緒に働いている。そんな環境のなかで私たちは育ったのです」

 子どものころから数学と科学が得意だったバーラは、79年に高校を卒業した後、かつてGMが経営していた職業学校「ゼネラル・モーターズ・インスティチュート(現ケタリング大学)」に入学した。実習生としての彼女の最初の勤務場所は、金属スタンピング工場だった。耳をつんざくような騒音のなかで一日を過ごす―。そんな、苛酷な現場だった。
「そこは、人間を怖じ気づかせ、遠ざけるような環境だった」と、自身もそこで働いた経験を持つクラークは振り返る。

 だが、当のバーラは怖じ気づくどころか、そこがすっかり気に入り、夢中になってしまった。85年に卒業すると、バーラはGMのポンティアック工場で品質検査員として正規に働き始めた。88年には、MBAを取得するべくスタンフォード大に入学。授業料はGMが負担してくれた。

 そこで出会ったルームメイトのキャサリン・マルコム・ブリックマンは、誇らし気な両親と、同じくGMに勤務する新婚の夫トニーが彼女を寄宿舎まで送りに来たのが、いまでも忘れられないという。ブリックマンがバーラについて最も鮮明に覚えているのは、89年のサンフランシスコ・ジャイアンツとオークランド・アスレチックスの優勝決定戦の最中に地震が起こった夜のことだ。

 皆が怯えて暗闇で友人と身を寄せ合うなか、バーラは笑みを浮かべ、皆を笑いに誘う言葉を発した。
「彼女はそんな状況のなかでも気持ちを強く持てる人だった」とブリックマンは振り返る。

 他人を気遣うことができるだけでなく、危機に際しても機転を利かすことのできる冷静なエンジニア。そんな二面性により、彼女の評判はGM内で職位が上げるにつれ高まっていった。(以下略、)

ジョアン・ミュラー

 

あなたにおすすめ

合わせて読みたい