ライフスタイル

2016.02.19 10:01

登りたくなる階段[小山薫堂の妄想浪費 vol.7]

ところで、うちのオフィスに内田というスタッフがいるのだが、彼が入社間もないときに引っ越しの金がないというので、35万円を貸したことがあった。後日ちゃんと返してくれたのだが、僕はそれを使わないままずっと持っている。本当は彼の結婚式のときにご祝儀で渡そうかなと思っていたのだが、結局違うお札で渡した。だからいまも手元にあるのは、彼がせっせと貯めて僕に返してくれたときのままのお札だ。

先日、テレビ番組でこんな話も知った。ある日、明石家さんまさんが買い物の支払いに千円札を出そうとしたら、その千円札の表面に「さんまさん!いつかあなたの手にとどくことをねがってます。大好きです。」と書かれていたという。

さんまさんは「この千円札を書いてくれた子が応援してくれている。そう思える限り芸人をやり続けよう」と思い、以来30年間大事に財布にしまっていたそうだ(番組では当時15歳だった女性とさんまさんが初対面した)。

お金はこんなに僕らの身近に素敵に存在するのに、執着するのはみっともないと思われたり、語ることすら憚られたりする。しかし、お金に特別な感情を抱くというのは、決して悪いことではないと思う。普段無意識のうちに使っているお金に対して、あらためて感情移入すると、それは品物を購入するためのただの道具ではなく、個々人の価値観を表現する崇高なもののように見えてくる。

たとえば、父がくれた百円紙幣しかり、内田が返してくれた35万円しかり、さんまさんの千円札しかり。日本人は「貯金は得意だが、使い方が下手だ」といわれるのだから、今後は学校でもお金の授業を行ったらどうだろうか。もちろん、お金持ちになる方法を学ぶのではなく、有意義なお金の使い方を学ぶのである。

ちなみに冒頭の「お年玉」だが、歳神(としがみ)様を迎える正月行事において供えた鏡餅をお下がりとして子どもたちに分け与え、それを「御歳魂(おとしだま)」と呼んだという説が有力らしい。つまり、「神様の魂を体内に頂戴する行為」がお年玉なのであるからして、お餅からお金に変わった現代でも、その精神を意識しておくといいかもしれない。

次ページ > 宗教観を排除したお賽銭箱

イラストレーション=サイトウユウスケ

タグ:

連載

小山薫堂の妄想浪費

ForbesBrandVoice

人気記事