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2016.02.21 10:01

堀場雅夫の死後、初めて息子の堀場厚が語る

Atsushi Horiba / photographs by JanBuus


「経営とは、51対49で正しい方向を選べるか、です。7対3であれば、経営者でなくても判断できる。51対49というほぼ誤差の範囲、究極の選択において進むべき方向性を決断する。それが経営の神髄なのではないかと私は思いますね」
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社長4年目の96年に断行した堀場製作所初の買収も、そんな究極の選択だった。減収減益時代を脱したとはいえ、コストとリスクは果てしなく大きい。買収すべきだという堀場の心は決まっていたものの、ひとつだけ懸念があった。堀場は父にこう尋ねた。「借金経営になってもいいか」

堀場製作所はそれまで長らく無借金経営だった。理由は創業間もないころ、業績がいちばん苦しいときにある銀行に資金を引き上げられた経験があるからだ。当時の東海銀行京都支店長が自分の権限を上回る5,000万円を貸与してくれて危機を切り抜けたが、雅夫はその一件以来「銀行に頭を下げるのはもう嫌や」と無借金経営を貫いていた。それは、いわば雅夫の経営者としてのプライドでもある。堀場は父のプライドと立場を鑑みて、先の質問をしたわけだ。雅夫の答えは簡潔だった。「お前が経営しているのだから思ったようにすればいい」。
「51」だと踏んで断行した買収。だがそれが証明されるには、ある程度の時間が必要だ。実際、仏2社のうち1社は買収してから7年間赤字、独の事業も7年間赤字だった。

08〜09年、リーマン・ショックで世界の企業が軒並み成績を落としたとき、堀場製作所の稼ぎ頭である自動車事業と半導体事業も大幅な減収減益を余儀なくされた。しかしこのときかつて買収していた仏2社の営業利益が急増。赤字のお荷物部門から救世主へと変貌を遂げたのである。「結局、3社とも本格的な効果が出てきたのは10年目以降でした。買収を例に挙げるまでもなく、経営者が打った手が実際に効くには10年以上かかる。毎四半期の利益ばかりに過度にとらわれることなく、長期的視野で経営を見据えられるのは、同族経営のよき側面だと思います」
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堀場はさらなるグローバル化に向け、アフターサービスと設計のローカライズも進めた。世界の自動車メーカーのあるアメリカ、ドイツ、フランス、イギリスなどで開発設計ができる技術者をローカルに育て、各国の排ガス規制やニーズに合わせた製品開発をしたのだ。たとえば排ガス測定装置を、当時の欧州のトレンドであった19インチラックに収納できる仕様で新設計。欧州市場を席巻し、さらにアメリカでは現地ニーズを取り込んだ改良を行って米国顧客の安心をも掴むといった具合だ。

技術や開発に造詣が深く、根っからのクリエイターだった父と、クリエイトされた製品をエキスパンドしつづけた息子。ふたりはそれぞれの得意分野を活かしたに過ぎない。息子は偉大な父が築いたホリバDNAを尊重した。代々伝わる教えを受け継ぐ伝統工芸師のように。しかし、同時に時代を読み、未来を見据え、逆転の発想で父とは違う経営方針に社命を懸けた。革命児のように。

父から息子への世代交代はすなわち、堀場製作所から世界のHORIBAヘの転換点だったのだ。
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文=堀 香織

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