中央銀行という医者だけでは、世界経済という患者は治せない
いわゆる「リーマン・ショック」以降、未知の局面に突入した世界経済。
各国の金融政策が手探りのなか、2016年の世界が取るべき道とは。
世界経済が直面しているのは景気循環の問題ではなく、日本に似て構造的な問題だ—。
世界屈指のエコノミストとして知られるモハメド・エラリアンは、2014年末に行われた編集長インタビューでそのように述べた。つまり、低成長、非伝統的な金融緩和策、大きな政府で構成される「ニュー・ノーマル(新たな常態)」という従来とは異なる経済フレームワークで世界経済を理解すべきだと説いたのである。
あれから1年。改めて世界経済の展望を問う。
高野 真(以下、高野):あなたは1年前のインタビューで「世界は『ニュー・ノーマル』の最終段階にあり、遠からずさまざまな選択を迫られるだろう」と話しています。そして2015年、我々は多くの出来事を経験しました。世界経済は今、どのような局面にあるのでしょうか?
モハメド・エラリアン(以下、エラリアン):成長率を高めるのが難しいことが明らかになってきました。ヨーロッパや日本に景気回復の兆しが見られるものの、世界経済全体は減速傾向にあり、経済成長は依然として期待を下回る水準です。
高野:世界経済の牽引役として、経済成長を遂げた新興国への懸念も高まっています。世界経済は、どういった懸念材料を抱えているとお考えですか。
エラリアン:3つあります。第1に、世界全体で十分な経済成長が期待できないこと。世界経済の成長率予測が軒並み下方修正されている点からもこれは明らかです。
第2は、金融市場のボラティリティ(価格変動の度合い)です。以前に比べて、ボラティリティが高まる局面が頻繁に見られるようになりました。
高野:8〜9月にかけて世界市場は大混乱に陥り、流動性への懸念が高まりましたね。
エラリアン:その通りです。欧州中央銀行(ECB)と日本銀行は金融緩和を続ける見通しで、ECBは追加緩和の可能性すら示唆しています。一方、連邦準備制度理事会(FRB)は金融緩和のアクセルを緩めようとしています。このような中央銀行のスタンスの違いは市場の混乱を招く要因となります。
高野:それでは3点目は何でしょう?
エラリアン:第3は、政治面での動きです。各国で、反体制的な人物が政治の表舞台に登場しています。米共和党の大統領候補ドナルド・トランプ、英労働党首に選ばれたジェレミー・コービン。デンマークやフランス、スペイン、ポーランドなどでの既存の政治体制を否定する動きです。世界の至る所で政治的な分裂が起きています。
十分な経済成長が達成できていない点や各国の金融政策の違い、今後の政治動向などによって、ニュー・ノーマルの道のりは決して安泰ではありません。私たちは「T字路」の分岐点にさしかかっているのです。右に行くべきか、それとも左に行くべきか—。依然として先行きは不透明です。
新興国が抱えるリスク
高野:ニュー・ノーマルの要素に「世界経済の牽引役が先進国から新興国へシフトする」点があります。しかし、新興国の状況は変わりました。
エラリアン:新興国の経済は、外部環境の変化に対して脆弱(ぜいじゃく)で非常に大きな困難に直面してきました。先進国の非伝統的な金融緩和によって大量の投資資金が新興国に流入した結果、新興国の経済規模は拡大しました。
例えば、クロスオーバー社債では新興国債券を組み入れています。仮に新興国債券の組み入れ比率が減れば、資金フローが逆転し、新興国の経済は打撃をこうむることになるでしょう。
高野:具体的に、新興国の状況とは?
エラリアン:主に、次の4つのグループに分類できます。
①インドのように比較的安定した国。外部環境の変化に無縁とは言えないまでも、うまく対応しています。②中国のように、低成長が常態化する新たなパラダイムにソフトランディングしようとしている国。③さまざまな問題を抱えているために経済成長が非常に難しく、新たな状況に適応できない国。そして、④ロシアとベネズエラのように、不安定な経済状況にあり、世界経済の“問題児”になる可能性がある国です。
高野:最初の3つのグループを見る限り、新興国の経済成長がかつての勢いを失っていることは明らかですね。では、各グループの展望は?
エラリアン:まず、④の国は経済危機に陥る可能性さえあります。牽引役は①と②に移っていくと思われますが、以前のようにダイナミックな交代劇はないでしょう。
新興国の中で経済が安定している国でも、周辺地域の経済とは無縁でいられません。だからこそ、世界や地域の情勢に気を配る必要があるのです。
中央銀行の限界と政治の役割
高野:アメリカの経済成長と金融政策についてはどのような考えをお持ちですか。
エラリアン:現在のアメリカは、ニュー・ノーマルな成長段階にいます。
高野:つまり、低成長が続くということですね。
エラリアン:どんなに金融緩和を行っても、それは変わりません。2.5%を超えようと悪戦苦闘していますが、潜在成長率は低下しています。ただ、雇用率の改善は朗報と言えます。賃金が伸びないのは、雇用の増加が一因です。低成長、雇用の増加、賃金の停滞。これがアメリカの現状です。
高野:FRBには金融政策を正常な状態に戻そうとする動きもありますが?
エラリアン:アメリカのような資本主義社会でゼロ金利を維持すれば、意図せぬ結果をもたらします。
第2四半期は国内外の経済指標は良好で“青信号”が灯っていましたが、FRBは利上げを見送りました。第3四半期になると、国内は“青信号”、国外は“赤信号”。市場関係者の間では中国に対する悲観論が大勢を占め、またもや利上げは見送られました。
現在は、国内外ともに“黄信号”といったところで、判断が非常に難しい状況です。
本来であれば、FRBのメンバーは、「FRBの重要な仕事とは、何が何でも市場の関心を『最初の利上げ時期』から『利上げの道筋』に向けさせることだ」という共通の見解を持つべきです。
そして、緩やかなペースで利上げを行い、「市場の混乱要因にはならない」との認識が市場に広がったところで、目標水準の中央値まで金利を引き上げます。というのも、状況によっては利上げを止める必要があるからです。
利上げを成功させるためには、こうした丁寧な手順を踏む必要があります。だからこそ、FRBのメンバーが同じシグナルを発信することが大切なのです。いまは、それができているとは思えません。
高野:現在のジャネット・イエレン議長は目標の金利水準に達するまで会合ごとに利上げするのではなく、利上げと停止を繰り返す「ストップ&ゴー」というシナリオを描いています。それに、歴史的水準をかなり下回る水準で終えることも示唆しています。
エラリアン:今のFRBは合意形成にてこずっていますね。FRB理事と地区連銀総裁の間には常に意見の対立が見られますが、一致していると思われていた理事の間にも意見の食い違いがあるようです。
高野:アメリカと同じように、日本やヨーロッパも金融政策で経済をコントロールするのに苦しんでいます。各国中央銀行の金融政策は今後、「ダイバージェンス(乖離)」が鮮明になるのでしょうか。そして、金融政策の問題点とは?
エラリアン:じつは16年1月に、拙著『The Only Game in Town: Central Banks, Instability, and Avoiding the Next Collapse』を上梓する予定です。書名の「The Only Game in Town(唯一の選択肢)」は、14年11月にパリで開かれた中央銀行総裁会議でフランスの中央銀行総裁が使った言葉です。
「問題は、金融政策の決定に関して中央銀行が“唯一の選択肢”になっている点だ。景気回復には、景気刺激策や構造改革、過剰債務の解消、健全な金融システムの構築が必要なはず。しかし、中央銀行にあまりにも多くの負担がかかっている。中央銀行にできるのは金融政策で景気を刺激することだけだ」と話しています。言い得て妙ですね。
高野:日本にもまったく同じことが言えます。日本も本来なら、5つの手段(金融政策、景気刺激策、構造改革、過剰債務の解消、健全な金融システムの構築)が必要なところ、中央銀行が金融政策というたった1つの手段で、金融・財政の構造改革に立ち向かわなければなりません。
ただ、金融政策以外の手段で側面支援するのは「政治家」の役割ではないでしょうか?
エラリアン:こんな喩(たと)え話はどうでしょう。“世界経済”という患者が、“中央銀行”という医者のもとにやってきて、こう言います。
「08年に経済危機という大災害で骨折してしまった。退院しても骨が固定していないので、体をうまく動かせない。歩けるようになったが、走ることはできない。なんとかしてほしい」
医者は、「私は整形外科医ではないから、根本的な治療はできない」と答えます。ここでいう整形外科医とは、“政治家”のことです。でも、あまりにも痛そうなので、その医者は仕方なく痛み止めを処方します。
すると、患者は1年後にまたやってきて、「処方してくれた薬は初めのうちは効いたが、まだ走れるようにならない。痛みもぶり返した。整形外科医は治療をしてくれない」と言うではありませんか。そこで、医者は薬の量を増やします。患者は翌年も来て、薬の量はさらに増えます。
さすがにある時点で、医者も患者も薬の副作用が心配になります。根本治療をしていないからです。これがまさに今、中央銀行のやっていることです。中央銀行は薬を増やすことはできます。でも、薬で骨を固定することはできません。
果たして、薬の副作用は大丈夫なのでしょうか?
日本の投資家が取るべき選択
高野:それでは、日本の現状をどう見ていますか。
エラリアン:日本経済のダイナミックスについては、2通りの見方ができると思います。
1つは「他の国より時間はかかるが、政策を実行し続ければ景気は徐々に回復に向かう」という楽観的な見方です。日本は資源の多くを海外から輸入し、製品として輸出するため、利益が日本に還元されるまで時間を要するからです。
もう1つは、「人口減少と高齢化が急速に進行する中で、早急な対策を講じて労働力を確保しなければ、経済の活力が失われていく」という悲観的な見方です。
高野:日本はようやく20年の眠りから目覚めようとしています。安倍晋三政権はTPP、金融緩和、消費税の引き上げ、戦後70年談話の発表と、「日本再生」に向けて動き出しました。
エラリアン:安倍政権が誕生する前から、日本はデフレスパイラルに陥る危機的状況でした。あのままだったら、集中治療が必要になっていたでしょう。危機的状況を脱した今こそ、日本の並外れたポテンシャルを引き出すチャンスです。
高野:そんな今、ファンドマネジャーにとってはどの分野に投資機会があると思われますか?
エラリアン:VIX(=恐怖指数:投資家心理を示す指数)の推移を見ると、数値が跳ね上がる局面が頻繁に見られるようになりました。
これは市場のボラティリティが高まっていることを示しています。相場の急落や高騰によってボラティリティは高まります。流動性不足で相場が急落した場合、3つの現象が次々に起こります。相場のオーバーシュート、揺り戻し、そして、投資家は優良銘柄の組み入れ比率を高めて、資産クラス間の相関性を低下させようとします。
高野:こうしたボラティリティの影響は市場全体に及ぶので、投資家にとっては割安な優良株を買うチャンスが生まれます。組織再編を発表した後のグーグルの株価高騰や新興国市場の急落は、世界の市場に波及しました。
エラリアン:相場が急反発する時は、ポートフォリオの構成銘柄を入れ替えて、その質を高めるチャンスです。このような積極的な投資ができるのも、市場参加者が中央銀行に絶大な信頼をおいているからです。
高野:ボラティリティと無縁でいられる市場はありません。どう対応すればよいでしょうか?
エラリアン:第1に戦略的にすばやく対応すること。第2に、実践するのが非常に難しい点ですが、損失に備えた分散投資の戦略として、現金の割合を増やすこと。これはボラティリティが高い今の市場から学べる非常に重要な教訓です。
そして、第3にスタートアップなどの有望な投資先を発掘すること。
高野:まだ未上場のスタートアップなどは?
エラリアン:きっとワクワクするような興奮と驚きが待っているに違いありませんよ。
Mohamed El-Erian / モハメド・エラリアン
パシフィック・インベストメント・マネジメント・カンパニー(ピムコ)前CEO(最高経営責任者)兼Co-CIO(共同最高投資責任者)。国際通貨基金(IMF)の副局長やハーバード大学基金を運用するハーバード・マネジメント・カンパニーCEOなど、数々の要職を務めた経験を持つ。現在は、アリアンツ顧問のほか、米オバマ大統領のグローバル開発評議会の議長を務める。ベストセラーとなった『市場の様相』(プレジデント社刊)など著書多数。