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2016.01.29

ラクスル 松本恭攝ー日本にも現れた「ジョブズの申し子」後編

Constantine Pankin / Shutterstock

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富山県で生まれ育った松本は、高校時代、社会にインパクトを与えたいという思いがあったわけではない。公務員ばかりの一族に育ち、松本恭攝の「攝」という難しい漢字の由来を彼に聞くと、「実家が浄土真宗系なもので」と、生活に寺が根ざす北陸らしい答えが返ってくる。

彼の世界観を変えるきっかけは、中国で大規模な反日デモが吹き荒れた05年に遡る。慶應に入った彼は、日中韓の学生による「国際ビジネスコンテストOVAL」を立ち上げるサークルに入った。東アジア最大級のこのコンテストは、1年目、東京で開催。中国と韓国から大勢の学生たちが集まり成功を収めると、2年目、松本たちは北京の清華大学での開催を提案した。「外務省をはじめ、いろんな人から危険だからやめた方がいいと忠告されました。でも、実際に北京を歩き、学生たちと話すと、メディアが伝えるような反日感情をもった人ばかりではない。逆に、友好的で、将来に向けて一緒に何かをやっていこうというポジティブな層がたくさんいるんです。日本では多くの人から『無理だ』『難しい』と言われましたが、誰もトライしていないから実現できていないだけだと気づきました。学生でもイメージをもってチャレンジをしたら、社会的にインパクトのあることができるし、世の中を変えることだってできる。そう思えたのです」

さらに彼の行動哲学を確固たるものにしたのが、大学時代に行ったシリコンバレーである。06年から07年にバンクーバーに留学中、松本はスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行った演説を毎日YouTubeで浴びるほど聴き、暗唱した。〈もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるな〉

ジョブズは17歳のときから33年間、鏡に向かって毎日問いかけたと演説で明かし、そして有名になったセリフで締めくくる。〈Stay hungry, stay foolish〉。

松本はシリコンバレーに出かけるツアーを組むと、影響を受けた人々に片っ端からメールを送った。松本が感銘を受けた『ウェブ時代 5つの定理』の著者であり、シリコンバレーを拠点とする梅田望夫、エバーノートの外村仁、また、メールアドレスのわからない経営者たちには会社のホームページを参考に、その人の名前から想定される当てずっぽうのアドレスを10パターンほどつくり、送り続けた。

驚いたことに、日本人学生から突然のメールが届いた人々は、ほぼ全員面会に応じてくれたのである。なかには、のちのラクスルに出資してくれる投資家もいれば、画期的なDVDのオーサリングシステムを開発してウォルト・ディズニー社に採用され、世界中にDVDを普及させることに一役買った曽我弘もいた。弊誌11月号でも紹介した曽我は、スティーブ・ジョブズに会社を売却した日本人として知られる。

松本は曽我にこう言われた。「定年退職して残りの人生ももう短いから、時間の流れが10倍速いシリコンバレーに来て起業したんだよ」

この当時、曽我は70代に入っていたが、歩く速さと喋る速さに松本は舌を巻き、シリコンバレー流の感覚に打ちのめされた。彼が影響を受けたのはシリコンバレーのテクノロジーというより、「思想」である。特に、イーベイのピエール・オミダイアが語った次の言葉だ。—make the world a better place

短期的には非合理でも、いつかは合理的なものにつなげていく

09年、会社を辞めた松本に、前出の佐俣は親友の利根川裕太を紹介した。慶應を卒業後、森ビルに入社していた利根川はすぐにラクスルの共同創業者になった。また、佐俣はサークルの後輩でグリーに勤務していたエンジニアの山下雄太も引き合わせる。ほかにもグーグルに勤務していた佐俣の友人も、ラクスルに入社。まだ現在のビジネスモデルはできていなかったが、佐俣は「自分の仲間が面白いことをやりたいからと、どんどん集まってきているから、いけるな、という思いはありました」と言う。ただ、インターネットで何かをつくって起業する者を見続けてきた佐俣にとって、松本はネットのセンスはない男と映った。

しかし、佐俣はこう付け加える。「僕が松本のことを本気で尊敬するのは、創業期から現在に至るまでずっと同じことを言い続けていること。その言葉に仲間たちも惹かれているのです」

松本が語り続け、ラクスルの理念にもなっている言葉。それは「仕組みを変えれば、世界はもっとよくなる — make the world a better place」である。

佐俣は「松本がもし戦前に生まれていたら」と、こう連想する。「彼は間違いなく鉄道系の事業家になっていたでしょう。大正から昭和にかけて、日本には鉄道が必要だという情熱のもと、レールを敷いて、駅をつくり、そして町を開発する。町ができれば、何でもつくれると、壮大なスケールで事業を拡大していった西武や東急の創始者たちです。松本はインターネットの人というより、産業構造そのものを良く変えたいとダイナミックに考える人物で、そこは一貫して変わりません」

印刷はその第一弾だと考えていいだろう。ラクスルは、まず10年4月に、印刷会社の通販価格比較サイト「印刷比較.com」の運営を開始した。その年に累計PVが100万を突破。ところが、ある晩、松本と佐俣と社員ら計4人で六本木の中華料理「香妃園」に行き、とり煮込そばをすすっているときのことだ。「このままやっても意味がないよね」と、松本が言い出した。「比較サイトで1円2円の意思決定を変えるよりも、新しい体験を生むことがやりたいよね」

大きな勝負。このときの考えが、現在のラクスルの事業につながっていく。

社外取締役の伊佐山元はこう言う。「松本さんの特徴は、いい意味で頑固。投資家など周囲のアドバイス通りに動いて、ブレてしまって失敗する起業家を見てきたけれど、松本さんはブレない。取締役会で我々が反対したら、説得するために食い下がって説明する起業家です」

佐俣もこう言う。「毎回、松本の提案で事業をつくってきた会社なので、短期的には非合理でも、いつかは合理的なものにつなげていくんだろうなと思います。実際、彼は成長していますからね」。

松本がインタビュー中にスマホを取り出し、動画を見せてくれた。1984年、松本が生まれた年にアメリカで放映されたAppleのMacintoshのCMである。ジョージ・オーウェルの『1984』の世界観を映像化したもので、「ビッグ・ブルー」に支配された灰色の世界を、色をまとった女性アスリートがハンマーで打ち破る。これはIBMに支配された情報産業と、自由な未来を約束する唯一の力と自負するAppleを描いた挑発的なCMである。

動画を見終えると、松本はこう説明した。インターネットの本質的なパワーは、個がエンパワーメントすること。だから、中小企業や個人がインターネットによって力を得られることは、まさにシリコンバレーの思想であり、「そこにすごく大きく影響されたんです」と。

面白いことに、松本と同様に古くて巨大な印刷業界をネットで変革しようとする若者がインドネシアとメキシコにもいた。松本はインドネシアのその若い起業家に出資して、ノウハウである「ラクスルモデル」を提供する。そうして海外の仲間たちと手を組み、仕組みを変えて世界をよくしていく。

世界で同時にジョブズの申し子たちが動き始めたのだ。

藤吉雅春 = 文

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