ビジネス

2016.01.24

起業家人生の節目となった濡れTシャツコンテスト[先駆者が語る最高の失敗]

illustration by Berto Martinez

大学3年のとき、僕はよく友達と一緒にパーティーを開いていた。幹事じゃなくて、場所を貸し出す主催者としてね。

まだ飲酒できる21歳じゃなかったけれど、持ち主がバーを使わせてくれたんだ。だから、僕らはお客さんからドリンク代を取って、結構もうけていた。そこで、翌年になって友達を誘ってみた。
「あのさ、オレらで店をもってみない?きっとうまくいくぜ」

4年生になると、バーを買い取ることができた。友達もお金を入れたし、僕も学生ローンのお金を注ぎ込んだ。でも、その甲斐あってインディアナ州ブルーミントンのダンカーク広場に「モトリーズ・パブ」というバーを開くことができた。

あっという間に、うちの学生の間でいちばん人気のバーになったね。経営もすごくうまくいったんだ。

そして、運命の日が来た—。あの日のことは永遠に忘れないよ。1979年2月12日のことだった。

僕らは「濡れTシャツコンテスト」を開催することにした。参加者の女の子たちが薄めのTシャツを着て、観客が水をかけたりするあのパーティーだよ。満員まちがいなしだった。これは気を引き締めて運営しないといけない。そう自分に言い聞かせた記憶がある。

だって、「濡れTシャツコンテスト」なんて開いた日には当局に目をつけられるのは確実だし、しかも、ほかのバーやパブからお客さんを根こそぎかっさらってしまうことになるからね。僕は、コンテストに参加する女の子たちの年齢確認を責任持ってすべて自分ですることに決めた。

1人目の参加希望者のことはよく覚えている。「うーん、21歳にしては少し若く見えるなあ……。でも身分証明書を見る限り、大丈夫か」という具合に、えらく警戒していたね。

こうして、「濡れTシャツコンテスト」は始まった。特に何事もなくスムーズに進んだよ。そして、決勝戦の前になって地元の新聞社が決勝に進んだ3人の写真を撮りたいと言い出した。スケスケのTシャツ姿ではなく、きちんと上着を羽織った状態だったから特に気に留めなかった。

でも、これがいけなかった。

その翌日、記事がたまたま一人の保護観察官の目にとまったんだ。なんと、決勝進出者のうちの一人が16歳で、しかも売春の罪で保護観察処分を受けていた。

もう非難轟々だったよ。僕の飲食店経営者としてのキャリアはその瞬間に終わった。

でも、いまではそうなってしまったことにとても感謝している。実際、その後、びっくりするようなことが次々と自分に起きた。「ブロードキャスト・ドットコム」というデジタル音声・映像配信会社を立ち上げ、それをヤフーに売却して巨万の富を得た。そのお金で「ダラス・マーベリックス」というNBAのプロバスケットボールチームの所有者になれたわけだし。

あのときの過ちは痛かったけれど、幸運だったともいえる。
“濡れTシャツコンテスト事件”がなければ、僕はいまもバスケの試合を流すスポーツバーのオーナーで、個人サイトでファン交流を促すだけだったかもしれないからね。

マーク・キューバン◎米プロバスケットボール協会(NBA)に所属する「ダラス・マーベリックス」のオーナー。複数のIT企業の共同創業者兼CEOを経て、現職。米TV番組「シャーク・タンク」(アメリカ版「マネーの虎」)で審査員としても活躍している。

フォーブス ジャパン編集部 = 翻訳

この記事は 「Forbes JAPAN No.18 2016年1月号(2015/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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