彼が起こそうとしている「破壊的イノベーション」とは。
「いまはシリコンバレーに8割、日本2割の滞在バランスですね。製品開発のステージが進むと市場はアメリカにあり、開発経験のある優秀な人材もたくさんいますから」クオンタムバイオシステムズCEOの本蔵俊彦はいま、オフィスのある日本とシリコンバレーを往復し、世界を奔走する起業家としての日々を送っている。本蔵が目指しているのは、「グローバルスタートアップ」。世界的に大きな注目を集め、多くの企業がしのぎを削る、DNAシーケンサー業界で、世界市場を席巻することだ。
クオンタムバイオシステムズは2013年1月創業の次世代DNAシーケンサーの開発を行う大学発スタートアップだ。大阪大学産業科学研究所の川合知二特任教授、谷口正輝教授の研究成果に惚れ込んだ本蔵が奔走し、研究室で出会ってからわずか2カ月で事業計画、資金計画、資本政策を策定し、創業に至った。
DNAシーケンサーとは、文字通りDNAを「読む」ための解析装置だ。DNAデータは病気の原因解明と治療法、創薬の研究、新生児の出生前の健康検査、農産物等の品種鑑定などにも広く利用されている。DNAシーケンサーの課題は「価格」と「速度」。現在のDNAシーケンサーの価格は、小型普及モデルで3,000万〜4,000万円、ハイエンドなものは1億円。「速度」は最先端シーケンサーでも、DNAを構成する1塩基を読み取るためには1センサーあたりで約10分を要するという。
「『究極の原理』なんです」そう本蔵が語気を強めて説明するのは、クオンタムバイオシステムズのコア技術である、量子力学に基づく1分子計測技術「ゲーティングナノポア」。数ナノメートルという微細な幅を持つ電極を使い、DNAの特殊な電流を計測し、いままでにない速度と精度を持つ解析を実現する技術だ。「『究極の原理』を擁する我々のシーケンサーは、装置コストを100万円にまで下げることが可能になります。また、DNAを構成する1塩基を読み取るためにかかる時間も、1センサーあたり1,000分の1秒に短縮できます。我々の目標は、DNAシーケンサーの世界で、フェラーリの性能を持つ、カローラをつくること。それをグローバル市場に普及させることです」
本蔵が見据えるのは、年間70兆〜160兆円規模の潜在的な経済的インパクトを持つ“巨大市場”だ。クオンタムバイオシステムズは15年2月、産業革新機構などから24億円の資金調達を行い、今春、シリコンバレーで開発拠点を稼働させるなど、グローバル化を加速させている。従業員約30人の3分の1がアメリカ人で、本蔵自身も10月からアメリカに移住した。海外チームの人材採用なども順調だと言う。
「優秀なエンジニアほど、我々のシーケンサーによって得られるデータを見た瞬間に『この“究極の原理”に取り組んでみたい』と思ってくれる。起業家への尊敬やチャレンジ精神があるエンジニアが多いですね」世界的なシェアを持つ競合企業からの転籍がほぼ全員を占めるという。
突破口は「日本企業の職人技」
世界市場を狙う本蔵だが、実はそのブレイクスルーの武器となっているのは「究極の原理」とともに日本の中小企業の技術だ、と明かす。「DNAシーケンサーの実用化の鍵は、半導体微細加工技術と微小電流検出技術です。どちらも日本が従来得意としてきた領域です。日本企業の“職人技”はアメリカにはありません。日本発の『地の利』を生かしていきたいです」
なぜ、本蔵は、研究室発のイノベーティブな技術を見つけ、日本企業の“職人技”とつなげ、しかもシリコンバレーで勝負できるのか—。
それは彼のキャリアに答えがあるのかもしれない。本蔵は東京大学助手、新光証券(現みずほ証券)・証券アナリストを経て、マッキンゼー&カンパニー・戦略コンサルタント、産業革新機構でベンチャー投資という“異例”のキャリアを歩んできた。なぜ、最終的に起業家の道を選んだのか。「2003年に『ヒトゲノム解読宣言』が出た時、人の全ゲノムがわかり、それが民間で使われはじめたら、何が起きるんだろうというワクワク感がありました。その時に、研究者として狭い分野を深掘することよりも『いい技術を橋渡しする存在になりたい』—と思ったんです。その軸を貫き通している結果ですかね」 本蔵はいま、翌年にひかえる試験的な研究機関への提供に向けて、全力疾走している。
高速で低価格な、次世代ゲノム解析装置
既存のゲノム解析では解析用にDNAの複製を数多くつくることが必須であり、特殊な試薬も必要だった。しかし、クオンタムバイオシステムズが開発した新技術「ゲーティングナノポア」では、DNAが1本あれば解析が可能。コストは1/100となり、解析速度も革命的に向上する。30億あるヒトDNAでも、1日あれば全遺伝情報の解析が可能だ。
クオンタムバイオシステムズ
2013年設立の大阪大学発バイオベンチャー。共同創業者の本蔵俊彦は、02年に東京大学理学部を卒業。同大学院の特任助手としてヒトゲノム解析等の研究に従事し、新光証券(現みずほ証券)で証券アナリスト、マッキンゼー&カンパニーでマネジャー、産業革新機構にてディレクターを務めた。12年、川合知二特任教授・谷口正輝教授率いる大阪大学の開発チームと出会い、すぐに資金調達に奔走、翌年に創業した。