その背景には、創業1年目の起業家が描く、未来を変えるための強い思いがあった。
「アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)上にIoT(モノのインターネット)向けのプラットフォームがつくれればすごいのではないか」2014年、ソラコムCEOの玉川憲、同CTOの安川健太はいつものように飲み会の席で盛り上がっていた。そのときの会話がはじまりだった。
「その夜、時差ボケで眠れず暇だったので、“架空のリリース” を書いてみたんです」玉川が当時在籍した、米アマゾンでは、新製品をつくる前に架空のリリースを書く文化があった。玉川が朝、改めてリリースを見直すと、「いける」。
これまでIoT領域には様々な課題があった。なかでもモノとクラウドをつなぐ「インターネット接続」は大きな課題だった。なぜなら、実際にIoTシステムを構築するには通信が必要だが、専用線を引くにはコストがかかり、Wi-Fiはセキュリティの課題がある。本来はモバイル通信が最適だが、ヒト向けのプランしかない。SIMの単価が高く、格安SIMの場合でも契約事務手数料が高い、もしくは固定期間契約と自由度がない。通信回線の管理やセキュリティの備えもなかった。通信込みのIoTシステムをつくると、ランニングコストの大半が通信費用になってしまうこともあった。
そこで玉川と安川が考えたのが「インターネット接続」の課題を解決するために、誰でもいつでもすぐに安く使える通信事業を始めることだ。「そうした通信事業をはじめるには、専用機器などを購入して数十億円の初期費用をかけてキャリアと契約して、本格的なMVNO(仮想移動体通信事業者)になる必要があります。しかし、僕らは創業1年目のスタートアップでブランドもお金もない。でも、アイデアと技術力はある。専用機器のところをAWSの上で自分たちでつくればいいのではないか」
ソラコムのユニークさは、NTTドコモの基地局を借り、専用線でつないだAWSのクラウド上で交換器機能などをソフトウェアで開発した、いわば資産をもたない「バーチャルキャリア」だという点だ。
ソラコムが15年9月末にリリースをしたIoT向けモバイル通信サービス「SORACOM Air」はそれを実現させた。そのインパクトは、IoTシステム提供においてMVNOになるのに必要だった初期投資をSIMカード1枚単位から購入できる数百円程度にまで落とし、さらに基本料金も1日10円と価格破壊を起こしたこと。もうひとつは、SIMの使用開始、解約、速度変更などをウェブからコントロールできる「プログラマティブ」なモバイル通信を可能にし、「インターネット接続」の課題を解決に導いたことだ。
さらに同時リリースした「SORACOM Beam」で、セキュリティの課題も解決する。ソラコムがIoT領域で起こした変革は、AWSがウェブサービスに起こした変革を想起させる。サービスローンチ以降、クラウドサービスの専門家やIoTの専門家は「すごい」と口を揃えた。
国内ははじめの一歩 狙いはグローバル市場
なぜ、玉川は「コロンブスの卵」の逸話のように、誰も思い浮かばなかったことに挑戦し、事業化に成功したのだろうか。それは彼のキャリアとその志にある。玉川は、起業する直前まで、AWSでエバンジェリスト(伝道師)として活躍してきた。クラウド黎明期からAWS日本法人立ち上げを行い、革新的なプラットフォームの登場が世界を変えていったのを、日本で最も知る男だと言ってもいいだろう。
「AWSが登場した06年の前と後では、まったく世界が変わった」と玉川が言うように、その登場は、私たちの生活を変えた。写真共有アプリの「インスタグラム」。データのクラウド管理サービスの「ドロップボックス」。個人の空き部屋をインターネットで仲介する「エアビーアンドビー」。配車アプリの「ウーバー」――。「これらの成功は、AWSが登場するまで数千万円とも言われたコンピュータの初期投資が大幅に下がり、パッションやアイデアをもつ人であれば誰でもウェブサービスに挑戦できるようになった結果だ」玉川の志は、そんなAWSへの尊敬とともにある。「フェアで、フラットで、オープンなプラットフォームをつくりたい」。
玉川にとって国内でのリリースははじめの一歩に過ぎない。なぜなら、狙いは「グローバル市場」だからだ。玉川がいま望むのは、AWSが世界の人々の生活を豊かにしたように、ソラコムの登場により世界中から“こんなことができるようになった”“こんな世界的企業になった”“こんな新規事業が生まれた”、という事例が次々と出てくることだ、という。
玉川は最後に、秘話を教えてくれた。「いま振り返ると面白くて、当時“架空のリリース”に書いたことが結構当たっているんです。本社が世田谷区玉川にあること(笑)。あと、会社のビジョンである『世界中のヒトとモノをつなげ共鳴する世界へ』も、一言一句同じように書いてありました」変革を起こす起業家の思いの強さを改めて感じさせた。