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2016.01.09 20:00

タイムマシンがあったなら/森内俊之

本因坊秀策(1829-1862)。出身地の尾道にある「本因坊秀策囲碁記念館」には多くの資料が残されている。

はじめてタイムマシンを知ったのは、人気アニメ「ドラえもん」のテレビ番組だっただろうか。まだ子どもだったので、フィクションと現実の区別はつかなかったが、テレビを見ていて、タイムトラベルに憧れたものだ。

2015年の10月には、1985年に公開され大ヒットした、アメリカのSF映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の30周年を記念したイベントが東京で行われ、ニュースになったように、洋の東西、今昔を問わずタイムトラベルを題材とした映画や小説には根強い人気がある。

この映画シリーズの中で、主人公マーティーは過去へ未来へと大活躍するが、実際に人間が過去に戻れたらどのようなことが起こるのだろうか。

もちろん、タイムスリップをした人が過去の世界に存在することで、未来の世界が変わってしまうという問題はあるのだが、それはおいておくとして、過去に戻った人は表面上はあらゆる場面で成功することは間違いない。何しろ、これから起こることがわかっているのだから、怖いものなしだ。それだけいまの人間は過去からの恩恵を受けているといえよう。

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ジョニー・ワイズミュラー(1904-1984)。通算5つの金メダルを獲得した。

スポーツの世界ではどうだろう。1932年の映画「類猿人ターザン」のターザン役でも有名な俳優のジョニー・ワイズミュラーは、1920年代の競泳の金メダリストで、はじめて100m自由形で1分を切った選手として知られているが、現在では日本の中学生でさえこの記録を破ってしまう。

過去の名選手と現在のトップ選手の実力を比較するような記事を目にすることがある。現在のトップ選手の実力の高さを実感するためにはとても有効だが、だからといって歴史的な名選手の偉業の価値が霞む訳ではない。スポーツの世界も、過去の恩恵を受けて、すごいスピードで動き続けているのである。

将棋の世界で、現在のプロ棋士が過去に遡って戦ったらどうなるか想像したことがある。100年前というと私もイメージが湧かないので、実際に体験した30年前と比較してみたが、知は力なり。その当時の棋士が、30年間の知識の積み重ねに伍して戦うのは並大抵のことではないだろう。

逆に30年後の棋士が、目の前に現れ、対戦することになったら私はどのような心境になるのだろうか。30年後も解明されていないであろう定跡を探し、わずかな勝利の可能性を追求するのか、あるいはあえて現在の定跡そのままに指し、未来の一手を知ろうとするのか。葛藤がありそうな気がする。

お隣の囲碁の世界では少し様相が違っている。何しろ歴史上最強の棋士は誰かという質問に江戸時代の棋士の名を挙げる人も少なくないのである。「本因坊秀策はどれくらい強かったのですか?」とある囲碁のトップ棋士に尋ねたことがある。本因坊秀策は「棋聖」ともいわれる、江戸時代に無敵を誇った伝説の囲碁棋士のことだ。

偉大な大先輩に敬意を表しつつも、時代が違います、というような答えが返ってくるかと思いきや、「秀策の棋譜はよく勉強しました。とても強いです。対局しても勝てるとは限りません」という返答だった。これには心底仰天した。

私には囲碁の内容を見ても強さはわからないので、多くの人の意見を参考に判断するよりないが、日々向上を目指し研鑚を続けている現代のトップクラスの棋士と遜色ない力を江戸時代の棋士が持っていたとすれば、ひとつの奇跡のように思える。

もしタイムマシンが発明され、タイムトラベルが可能になれば、囲碁界の名棋士たちの実力だけでなく、多くの疑問が明らかになるが、そんな日は来るのだろうか。

世の中には、知らないほうがいいこともあるし、人間は寿命が決まっているからこそ、かけがえのない時間を過ごすことができる。やはり、タイムマシンは映画や小説の中で楽しむのが良いのかもしれない。

森内俊之 ◎将棋棋士。十八世名人資格保持者。羽生善治名人とは小学生の頃からしのぎを削るライバル関係だが、永世名人資格の獲得は森内のほうが1年早い。タイトル戦登場回数25回。獲得合計12期。

編集=Tsuzumi Aoyama

この記事は 「Forbes JAPAN No.18 2016年1月号(2015/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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