企業は本質的に、社会に生きる私たち一人ひとりと同じく、道徳的な主体である。意図しているかどうかにかかわらず、企業は地域社会、家族、そして私たち一人ひとりの幸福を形づくっている。問われるべきはただ一つ、企業が全体として善をもたらす存在なのかどうかだ。
企業カルチャーが何をもたらすかを最も見事に物語る例の一つが、1984年のカリフォルニア州フリーモントでの出来事だ。当時、フリーモントにあるゼネラル・モーターズ(GM)の工場は、同社の中で最も生産性が低い施設であり、恐らく世界で最悪の工場だった。従業員と経営陣の間では絶えず対立が起きていた。無断欠勤やストライキが横行し、酔っぱらって出社したり現場で飲酒したりする者もいた。約6000人を雇用していたが、十分な人数が集まらずシフトを組めない日すらあった。最終的に、その工場は閉鎖された。
しかしちょうどその頃、トヨタが北米市場への参入を目指していた。同社はすでに高品質な車を製造することで定評があった。GMとトヨタは合弁会社「NUMMI(ニューミ)」を設立し、フリーモントに拠点を置いた。そして、以前の従業員の大部分を再雇用した。
従業員たちはリーン生産方式の研修のため、順次日本へ派遣された。彼らが日本で過ごした時間を語る録音を聞いたことがあるが、体験したことの素晴らしさに感極まって涙を流していた。彼らは仕事がこれほど素晴らしいものになりうるとは思っていなかったのだ。それまでに見たこともないような「人間性の尊重」を目の当たりにした。彼らは問題解決に参加した。マネジャーたちは「ラインを止めてくれてありがとう。さあ、何が問題なのか一緒に突き止めよう」と言っていた。
NUMMIは同じ人々を雇い、同じ道具を使っていたにもかかわらず、まったく異なるアプローチをとった。それはすべて、人を優先するカルチャーへの転換によるものだった。経営陣は従業員のことを気にかけた。従業員が仕事に目的と意味を感じられるようにしたいと考えた。自分たちが価値ある存在であり、発言が重要であることを知ってほしいと願った。従業員が自分は役に立っている、目的を持っている、話を聞いてもらえていると感じ始めた瞬間、彼らの体験は変わった。自分の仕事やコミュニティに誇りを持つようになったのだ。
合弁事業が終わると、工場は長期的にそのカルチャーを維持することができなかった。最終的に、工場は再び閉鎖された。カルチャーとは一回限りのイベントではなく、日々の実践だ。意図をもって毎日維持しなければ、以前の状態へと崩壊してしまう。
それが、米国とカナダで経営する2つの会社で私が肝に銘じている教訓だ。私にとって非常に重要なことである。多様なスキルセット、視野、個性を持つ人々が協力し合える素晴らしい場所だと考えている。私たちは一堂に会し、目標を共有し、互いに励まし合い助け合いながら共に働くことができる。
単に収益を上げることだけが目的ではない。もっとも、生み出された収入は重要なことを成し遂げるためのツールとなる。人よりも利益を優先することは、大きすぎる代償を伴う。利益だけを追求すれば、人間、人間性、カルチャー、そして都市が払う代償はあまりに大きい。それは私たちを破壊しているのだ。利益とは単に、他者の役に立ったことの副産物であるべきだ。他者の役に立ち、そのニーズを満たすことを追求すれば、利益は後からついてくる。お金は手段であり、他者の役に立つことこそが目的だ。私たちは、互いに、顧客に、そして地域社会に役立つ存在になることにフォーカスしようとしている。お金はそれらを支えるためのツールにすぎない。
これを実践する具体的な方法の一つが、「ソリューションボード」の活用だ。全員に見える共有スペースに問題が掲示され、従業員がその解決を支援する。ミスは隠されず、表に出され、評価される。なぜなら、問題の中にこそ価値があるからだ。すべての不具合は、何かをより良くするための招待状であり、それを見つけるのは仕事に最も近い現場の人々である。
私は、トヨタの有力幹部であり、トヨタ中国を創設して率いた新郷利男氏とともに、日本の施設を2週間かけて視察した。同氏は私の会社SnapCabを3日間訪問し、知見を共有するとともに、製造スタッフと1対1で対話してくれた。新郷氏は、従業員の人生は上司の手に委ねられていると語った。彼らの人生の時間は職場で費やされている。付加価値を生まない作業で時間を無駄にさせてはならない、と。
私たちは従業員を尊重すべきである。彼らは自らの人生を、私たちの職場で過ごしているのだから。



