1998年、日本経済新聞社のエース記者だった會澤祥弘は家業を継ぐために帰国すると、早速、大胆な改革に乗り出した。それを根底で支えていたものとは何か。祖父の代から続くファミリーカンパニーがイノベーションカンパニーへと見事に躍進した軌跡を追う。
イノベーションは、「新結合」から生まれる。資源・技術・知識・市場といった要素を、従来とは異なる方法で組み合わせること。そしてアントレプレナーとは、あらゆる抵抗や不確実性を覚悟をもって乗り越え、その新結合を果敢に実践する主体者のことである。
単に技術を発明した者(研究者)ではない。新結合がもたらすまだ見ぬ価値を、社会・経済・暮らしのなかに導き、実効性をもたせ、世界を変える者(起業家)こそが、時代を創る。
3代目は祖父の家訓をどのように解釈したのか
北海道苫小牧市に本社を構える會澤高圧コンクリート。その3代目社長・會澤祥弘は新結合に挑み、次代を創り出すアントレプレナーである。祖父が興した「コンクリート」という祖業を大切にしながら、単にファミリービジネス(同族経営)を継いでいくのではなく、「イノベーションカンパニー」への進化を先導してきた。
「当社の起源は、1935年に祖父が創業した會澤コンクリート工業所です。祖父は『コンクリート以外やるな』という家訓を残しました。私はこれをどう受け止めたか。無論『保守的な経営に徹しろ』という意味ではありません。『一心不乱にコンクリートを深く掘り下げ、可能性を究め続けろ』という意味だと捉えています。異なる技術と技術のかけ算には無数の組み合わせがあります。しかし当社に限っては、A×BのAは、コンクリートと決まっている。この不動の祖業をテクノロジーとのかけ算で進化させ続ける。これこそが、3代目として『家督』を継いだ私の使命なのです」
會澤は中央大学文学部を卒業後、日本経済新聞社で10年余り記者生活を過ごしている。東京本社編集局では、流通業界の巨頭であったセゾングループ代表の堤清二やダイエーの中内功の番記者として夜討ち朝駆けの日々を送った。94年からはニューヨーク特派員として渡米し、インターネット黎明期だったアメリカにてAmazonのジェフ・ベゾスやDellのマイケル・デルなど、テクノロジーとの共創で時代を切り拓いていく起業家を独自に取材してきた。
「インターネット経済が目の前で爆発する瞬間に立ち合ったようなものです」ネットワーク上でソフトウェアが一夜にして流通し、ネットによる経済のデジタル化があらゆる業界の常識を塗り替えていく。95年を境に米国で広がった新時代の波動や思想を全身で受け止めながら、會澤は日本に帰ってきた。
祖業を異次元のレベルに引き上げていく
98年、彼は日本経済新聞社を退き、會澤高圧コンクリートに入社した。同社の祖業を異次元の世界へと導いていく物語は、そこから始まった。
「入社2カ月後、私は会社の現状に対する危機感や不満をもっていた若手社員たちを集め、社内改革を目的とするワーキンググループ(WG)を立ち上げました。そして、古参役員が実権を握り、意見が通りにくい体制だった取締役会から経営執行の機能を分離するため、当時まだ珍しかった執行役員制度を導入したのです。WGの若手メンバーたちを次々と執行役員に抜擢し、実質的な経営権を30代の若手へ移行させる狙いでした。社内の雰囲気はガラリと変わりましたよ」
「京セラの急成長のエンジンであった『アメーバ経営』にいち早く着目し、多額の導入費用を、自社株を一部譲渡することによって抑え導入を果たしました。経営のスタイルを一気に変える必要があったのです。組織を小集団に細分化して時間あたりの採算を見える化することにより社員一人ひとりが経営意識をもって行動する集団へ、体質を根本からつくり変えていきました」
このように會澤は「硬直した社内ピラミッドの解体」「若手の抜擢による権限委譲」「全社員に経営者意識(当事者意識)をもたせて自律的に動かすためのシステム導入」を即座に敢行した。組織の血流や心肺機能を根本から変えるような社内改革に、まず着手したのだ。
その後に、プラントやコンクリートの技術革新に取り組むことになる。
「99年4月、私は5~6人のメンバーを集めて極秘のプロジェクトを立ち上げました。ITを徹底活用した『動く生コン工場』というまったく新しいビジネスモデルの創出に着手したのです。携帯電話にインターネットを取り込んだiモードをかなり早い段階から産業利用し、ミキサー車自体を動く工場にしながらGPSや車載センサーを駆使して動態管理を自動化しました。これは『ITの力で従前の産業モデルをどこまでトランスフォームできるか』という実験であり、挑戦でしたね」
通常、プラントで製造された生コンクリートを工事現場に運ぶ役割を果たすのがミキサー車だ。この車両そのものを生コンの製造装置として使えるよう改良し、コンクリート材料を計量する装置はすべてコンテナモジュールにして一気に多拠点展開し、すべてをインターネットでつないだ。
わずか2名で多数の無人プラントを遠隔操作し、小口の生コン市場を席巻したビジネスモデル「ウップス」は、2001年に「日経コンピュータ情報システム大賞グランプリ」を受賞している。
かつては日本経済新聞の記者として起業家を取材していた會澤は、ほんの数年の間に今度は日本経済新聞から取材されるアントレプレナーになったのだ。彼の快進撃は続く。
「私は08年に會澤高圧コンクリートの3代目社長に就任し、その翌年に『アイザワ技術研究所』を設立しています。現在、研究所は世界でも最先端の研究拠点を目指して23年から福島県浪江町で稼働している『福島RDM²センター』に集約されています。15年には硬化の開始時間を自在にコントロールできる『pMpコンクリート』を開発しました。また、20年にはオランダのデルフト工科大学との共同開発により、自己治癒コンクリート『Basilisk(バジリスク)』も生み出しています」
「Basilisk(バジリスク)」は、バクテリアの代謝でひび割れを自ら修復する自己治癒コンクリートの先駆的な量産化の事例となった。バクテリアの餌となる乳酸カルシウムにアルカリ耐性のバクテリアを封じ込めてコンクリートに配合、クラックが入った箇所だけをバクテリアが活性化し、炭酸カルシウムを出して傷を自動的に治癒する仕組みだ。
「一般的なコンクリートは10~15年ほど経過するごとに補修を繰り返し、60~65年で寿命を迎え、建て替えが必要になります。しかし、『Basilisk(バジリスク)』は生物がクラックを自動的に補修し続けるため、コンクリートの寿命を100年を超えて引き延ばすことができます。私たちの暮らしを支えているインフラの多くがコンクリート構造物です。その劣化問題を解決し、ライフサイクルコストを縮減し、脱炭素に貢献する画期的なコンクリートとして、現在では普及段階に入っています。今、會澤高圧コンクリートが生産しているすべてのコンクリートのうち、約3割が『Basilisk(バジリスク)』に切り替わっています」
また、會澤は「空飛ぶ3Dプリンターの開発」にも挑んできた。速乾性の特殊なコンクリート系マテリアルを産業ロボットアームで印刷するように積層して三次元の構造物をつくる3Dプリンターの技術。これを日本の社会に、暮らしに実装したいと考えている。
「エンジンで駆動する強力な回転翼を有したドローンに、AIを実装したロボットアームを統合しています。空を自由自在に飛びながら、3Dプリンターでコンクリートを印刷する『空中積層造形』の時代がすぐそこまで来ているのです。使用するドローンは、独自で開発しました。スズキのバイク用エンジンを開発し、二輪レースの最高峰であるMotoGPのレースグループでプロジェクトリーダーも歴任した荒瀬国男さんとタッグを組み、新たなドローン用エンジンを開発するところから事業を起こしています」
會澤は、28年末をめどに洋上風力発電施設の建設に自社で開発した「フィジカルAIドローン」を使用する目標を掲げている。この最新鋭のドローンは、機材や資材の搬入が困難で危険が伴う山間部などでも活躍することが想定されている。
創業100周年に向けての大いなる希望
會澤はこれまで、古参役員から若手メンバーに実質的な経営権を移行する仕組みを取り入れ、30代の若手を中心に編纂したアイザワフィロソフィーの前文において「規格大量生産との決別」を宣言し、新たな経営理念として「独創(Innovate)・挑戦(Challenge)・誠実(Trust)」を掲げてきた。
「父や、父とともに働いてきた役員たちには、相当に思うところもあったに違いありません。急激な改革によって自らの存在を否定されたようなものですから。しかし、父も役員たちも何も言わずに私たちのやることを見守ってくれました。08年に私が代表取締役社長に就任したとき、世代交代に伴って古参の役員たちは会社を退いています。年を重ねた今、私は彼らの潔さがいかに尊く、また私たちへの愛情に満ち溢れていたか、心の底から理解できるようになりました」
創業家が率いるファミリーカンパニーをイノベーションカンパニーへ。その躍進を根底で支えてきたのは、次世代の行く末を信じる先代たちの懐の広さであり、引き際の美学であった。
そして今、新たな世代交代の物語が始まろうとしている。
「東京理科大学理工学部建築学科を卒業してチームラボの建築部門に飛び込み、最先端のデジタルアートを経験してきた息子の大志が入社6年目を迎えています。入社は素直に嬉しかった。ただし事業継承はパワーゲームというのが私の考えです。若い世代がさらなるかけ算経営に挑み、成果を上げ、誰から見ても世代交代は当然という状態にもち込まねばなりません。一方で私の挑戦も伴走しながら続く。真剣勝負。手加減はしませんよ」
2035年に會澤高圧コンクリートは創業100周年を迎える。イノベーションは止まらない。
あいざわ・よしひろ◎1965年、北海道静内町(現・新ひだか)生まれ。中央大学卒業後、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員などを経て、1998年に會澤高圧コンクリートに入社。2008年、代表取締役社長就任。著書に『コンクリート業界の革命児が挑む老舗イノベーション』(幻冬舎)がある。
會澤高圧コンクリート
本社/〒053-0021 北海道苫小牧市若草町3丁目1番4号
URL/https://www.aizawa-group.co.jp/
従業員/580名(2026年6月時点)




