「あそぶことは生きること」。1981年の創業以来、一貫して子どもたちのあそびに向き合ってきたボーネルンド。欧州の知育玩具や大型遊具の販売からスタートした事業は、あそびの環境づくりへと広がり、親子の室内あそび場「キドキド」「プレイヴィル」などの開発・運営を展開。いまや、日本全国の幼稚園や保育園、公園や商業施設で約35,000カ所にのぼるあそび環境づくりを手掛けている。
その歩みを支えたのは、会長・中西弘子と、約30年近くにわたり現場で並走してきた娘の社長・中西みのりだ。「継承」ではなく「伴走」と語る、親子の経営に迫った。
「子どもは国の宝」 欧州で出会った、あそびの価値
1981年、ヨーロッパの子ども向け玩具の輸入販売から始まったボーネルンド。当時、2人の子どもを育てる専業主婦だった中西弘子は、夫に「巻き込まれる」形で経営に携わることになった。商社勤務だった夫が突然会社を辞め、あそびを通じて子どもの健やかな成長に貢献し、未来を豊かにしたいという思いのもと、事業を立ち上げたのだ。大型遊具の輸入販売会社は夫が、家庭向けの教育玩具の販売に特化したボーネルンドは弘子が代表を務める形で、夫婦二人三脚の経営者人生が始まった。
ボーネルンドのビジョンの出発点は、「子どもを一人の人間として尊重する」という欧州の考え方にある。80年代の日本社会に、「あそび」を尊重する価値観はなく、子どもは「いつも下に見られる存在だった」と弘子は振り返る。
「ヨーロッパの玩具メーカーを訪れると、『子どもは国の宝』『だからこそ、子どもを社会の中心に置いた環境づくりが大事』と誰もが口を揃え、日本との違いに驚かされました」(弘子)
当時の日本には、子どもの発達や成長の研究に基づいて作られた教育玩具というものはなく、キャラクターが付いた『売れるもの』がいいものだとされていた。
「あそびは子どもの生きる力そのもの。食べることや眠ることと同じくらい大切だという考え方に心から共感しました。日本社会にもこの考えを伝えていきたい。日本の子どもたちに豊かなあそびの環境を提供していきたい。その想いは、創業から45年経った今もまったく変わっていません」(弘子)
最初こそ、海外製のためカタカナやアルファベットが並ぶ分かりづらいパッケージに難色を示され、販売店(卸先)での売り上げは伸び悩む。しかし、お店を訪れた子どもたちは夢中になり、1時間も2時間も同じ玩具で遊び続けることもあった。子どもたちが自ら選ぶものこそが、いいものだ――。そう確信した弘子は、86年に直営店を出すことを決意。お店を訪れた保護者のみならず、子どもの教育に携わる幼稚園の先生、発達を研究する大学教授などにもクチコミで評判が広がり、ボーネルンドが掲げるビジョンは共感の輪を広げていく。
「子ども時代におけるあそびの重要性は、アカデミアの分野でも多くの研究論文で発表されるようになりました。私たちが伝えてきたメッセージと、研究者の皆さんがエビデンスをもとに発信する内容とがだんだん重なるようになってきた。時代の変化の中で、どんどん仲間が増えてきたんです」(弘子)
地球は子どものあそび場 環境づくりを事業の柱に成長させた
教育玩具の輸入販売から、玩具を含めたあそび環境全体のプロデュースへ。事業の幅を広げ、ボーネルンドはいまや「あそび場づくりのプロフェッショナル」として全国延べ35,000件以上の施設を手掛けている。その躍進に、1999年に入社した中西みのりの存在は大きい。
高校時代から海外に関心を持ち、ロンドンでマーケティングとインテリアデザインを学んだみのり。「図面が描けるなら店舗設計を手伝ってほしい」とアルバイトを依頼されたことが、ボーネルンドの入社のきっかけだった。
「両親から事業を継いでほしいだとか、入社してほしいといった話をされたことは一切ありませんでした。ものづくりが好きだったので、玩具の輸入販売には関心がなかった。当初は、店舗設計ができるなら面白そうかな、というくらいの気持ちで仕事を受けていました(笑)」(みのり)
玩具と遊具がどんなに魅力的なものでも、空間全体がデザインされていなければ本来の価値が発揮されないのではないか。そう考えたみのりは、誰に頼まれるでもなく、屋内外の空間設計まで含めた提案を始める。この発想の転換が、のちの「あそび環境づくり」につながっていくことになる。
事業の柱になる転機は、2001年、北九州市から「子どもの居場所をつくってほしい」と相談を受けたことだった。
リサーチのために訪れた米国で、家族は同時多発テロに遭遇。国内に残って準備に追われていたみのりは、NY在住だった姉、ワシントンD.C.から帰国しようとしていた両親と3日間連絡が取れなくなった。「乗る予定だった飛行機を調べても『MISSING(行方不明)』の情報しか出てこない。最悪のシナリオが頭をよぎった」と振り返る。そして、なぜこんなことが起こるのかと考えたとき、「もしテロリストたちの子ども時代がもっと豊かであったなら、彼らの人生は違うものになっていたのではないか」という思いに行き着いたという。
「地球は人が育つ場所であって、大人が戦争をする場所じゃない。『地球は子どものあそび場だ』というコンセプトは、このときの思いから生まれました。あそび場を、子どもの発達や健康、学びに役立つ場所にしたい。もっと子どもに真剣に向き合おうと、約1年半かけて、ボーネルンド初の屋内あそび場『あそびのせかい』をオープンしました」(みのり)
予算が限られるなか、みのりはもう一人のスタッフとともに現地に泊まり込み、自らあそびの装置を設置するなど手探りの挑戦だったが、「子どもが無邪気に生まれて育っていける世界を作らなければ、地球はダメになる」という使命感に突き動かされていた。
「環境を用意し、価値観を育てていくのは大人のやるべきこと。子どもたちを大人のエゴに巻き込んではいけない、と思えた一連の経験は、私の人生のターニングポイントになりました。そこから、一つひとつのあそびにはどんな意味があるのか、どんな価値があるのかを自ら学んでいこうと動き出しました」(みのり)
ちょうどその頃、世界では子どもの体力低下や運動不足、小児肥満が社会問題化していた。そこで、運動を楽しいあそびに変えるプログラムも開発。東京ドームシティの「アソボーノ!」、東日本大震災をきっかけに生まれた福島の「ペップキッズこおりやま」など、自治体や企業と組んだ大型プロジェクトを次々に手がけていった。
「成功」より「幸せ」を あそびを、子どもから社会全体に広げていきたい
みのりが社長に就任したのは2023年。事業承継をどう進めてきたのかと問うと、2人は顔を見合わせて、「明確な引継ぎはなかったね」と笑い合う。
「入社以来ほぼすべてのプロジェクトを一緒にやってきました。ボーネルンドは、目的は示されてもそこから先は自分で考えなさいという会社。最初の10年はどれだけ頑張っても、会長は遥か先を歩いている感覚でした」(みのり)
企画書を突き返されたことは数知れず。それでもめげることなく提案や議論を重ねるうちに、「違う」と言われることが減り、肯定されることが増えていった。いつしか弘子は「プロがいるから大丈夫」と口にするようになったという。
「大事にしてきた考え方や仕事の進め方もすべて、30年も隣でやってきたんだから身に付いているでしょう、と思ってきました。仕事の場では、意見をぶつけ合うチームメイトでもあり、上司と部下の関係性。『家族』というのなら、娘を含めた社員全員が子どもたちという感覚で育てていましたね」(弘子)
引き継ぎがなくとも伝わっている、と弘子が言うように、みのりの社長就任後も「あそぶことは生きること」というコンセプトは揺らがない。一方で、子どもを取り巻く環境の変化は待ったなしであり、時代のニーズにはアンテナを張り続けていきたいと話す。
「2025年3月には大阪に次世代型フリースクール『PLAY CUBE』を開校しました。子どもの不登校が社会問題化している今こそ、あそびと教育のつながりを提案してきた私たちだからできることがある。一人ひとり違う、自分らしい生き方、自分なりの幸せを応援できるはずだと考えました」(みのり)
「PLAY CUBE」のビジョンは、「あそびを原動力にして、『成功』より『幸せ』な人生を」。これは決して、子どもたちだけに伝えたいメッセージではない。
「少子高齢化が進む中で、大人たちがいかに長く元気に社会生活を送れるかが、子どもたちの幸せを作っていく。大人の価値観を変えていくことも大切です。ボーネルンドというブランドは、あくまでもその手段の一つ。あそびを通じた子どもの学びや人の成長について、本気で考える大人が一人でも増えていくことが、自分なりの幸せを追求できる社会を作っていくと思うんです。ボーネルンドは、そのサポートができる大人たちの集団の一つだと考えています」(みのり)
教育玩具からあそび場づくりへと広げてきたボーネルンドの事業は、更なる成長をどう見据えているのか。2人の思い描く未来像は明るい。
「当社の社員は、地球を豊かなあそび場にしていくための社員。どんどん外に飛び出し、胸を張って海外の商品を見出してきてほしいですね」(弘子)
「どんな人も、それぞれの強みを発揮して社会の一員になれるような世界をつくっていきたいんです。そのために、学校や大学、ミュージアムなどまで事業の幅が広がっていくかもしれない。あそびが生きる力を養い、一人ひとりの生きる力が社会を作っていくという創業から続く理念が、これまでもこれからも、ボーネルンドを前に進める原動力です」(みのり)
なかにし・ひろこ◎ボーネルンド 代表取締役会長。1945年大阪府生まれ。66年帝塚山短期大学卒業後、結婚、出産を経て、79年コンパンプレイスケープ、81年にボーネルンドの設立にかかわる。94年社長に就任。良質な世界の「あそび道具」を提案する全国82店舗の直営店や、全国で親子の屋内あそび場「キドキド」を展開。幼稚園や保育園、公園などであそび環境づくりも手掛け、その実績は45年で3万5000カ所にのぼる。
なかにし・みのり◎ボーネルンド 代表取締役社長。1974年東京都生まれ。1992年から5年間、ロンドンの大学でマーケティング、インテリア・建築デザインを学び、99年ボーネルンド入社。マーケティング、バイヤー、企画・設計・デザイン部門の統括を経て、2023年4月より代表取締役社長。「キドキド」「プレイヴィル」のほか、東京ドームシティ「アソボーノ!」、福島県「ペップキッズこおりやま」など全国のあそび場を企画・プロデュース。
ボーネルンド
本社/〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-3-12 ジブラルタ生命原宿ビル3階
URL/http://www.bornelund.co.jp
従業員/正社員183名、パート・アルバイト207名、TTL 390名(2026年10月末現在)




