「先日、アメリカに行ったときは非常に腹が立ちましたよ」
穏やかだった戸倉敏夫が、憤懣(ふんまん)やるかたない口振りに変わったのは、インタビューを終えた後である。
いま腕時計市場は、スマートウォッチの登場で「左腕争奪戦」という新たな競争に突入している。そんな折、アメリカで覗いたファッションウォッチの売り場には、似たような時計ばかりが並んでいたのだ。
「面白い商品が登場すると何の罪悪感もなく、物まねの匂いがぷんぷんする商品ばかりになる。本来の腕時計が魅力を出すべきときに、これでは飽きられてしまい、時計全体の魅力を消してしまいますよ」
二番煎じの企画が溢れ、気がつけば市場全体が沈下する。これは腕時計に限った話ではない。では、独自の魅力を打ち出すとはどういうことだろうか。
戸倉は入社時、希望の外国部に配属されたが、入社2年目のとき、毎日、倉庫で出荷作業を繰り返していた。半ば腐りかけていると、先輩社員からこう声をかけられた。
「時計ってのは小さいんだぞ」
小さいところばかりを見ていると、視野が狭くなる。仕事も同じだ。外を見て、自分の仕事が会社全体の中でどういう位置づけなのかを考えろというのだ。そもそも時計は他の産業に比べて国内の競合が少ない。
「意識的に視野を広げないと、タコツボに陥る傾向があるんです」。
1970年代当時、良質で手頃な価格の商品を提供すれば世界を席巻(せっけん)できる時代だった。腕時計もセイコーがクオーツの特許を公開し、日本製がスイス勢を凌駕した。「数を売れば利益が出るという考えでした」と、戸倉は言う。
そのころ、スイス勢は独自の世界観を訴えて巻き返しを図ろうとしていた。それを日本勢は読めなかった。慢心がスイス勢に逆転を許す。
89年、イタリア駐在となった戸倉は、限界を感じたという。スイスの隣国であるイタリアは、時計への感度が高い。さらに主な販売チャネルとなる個人商店のスペースは限られている。すでにスイス勢のブランドが浸透している市場を切り崩すのは容易ではなかった。
このとき、現地法人の経営者として迎えたイタリア人、ダンテ・グロッシがこう問いかけた。
「シチズンとは何だ?」
競合ブランドでもなく、スイス製でもなく、シチズンの世界観とは何か? シチズンの原点を追究することで、世界観を打ち出すことができれば、それが差別化になる。「原点を見つけようじゃないか」
グロッシは、こう念を押した。
「フォロワーじゃダメだ」
シチズンは、自社の原点を技術力に見出した。では、それをどう客に伝えるのか。グロッシが提案したのは、それまでにない売り方だった。
腕時計をただ単品で売るのではなくセット販売にして、その世界観を演出するディスプレーにする。さらにクリスマス商戦をあえて外し、宣伝費が安くなるクリスマス後に攻勢をかけた。贈り物ではなく、自分のために買いに来る客に照準を絞る。これが当たった。
「迷ったときには常に原点に立ち戻り、そこで新しいことを考えて独自性を出す」という学びは、98年の帰国後、時計事業が悪化したときも生かされる。社内から「ブランドを確立するより、部品の製造販売に注力した方が早い」という声があがったが、強みの技術力で差別化すると決め、新商品の開発を続けた。
この商品の発売前、開発側と営業側で激論が起きている。「この技術なら5万円でも売れる」という開発に対し、営業は「高すぎて売れない」と言い張る。
5万円の壁。戸倉も迷ったが、打ち破ろうと決めた。結果、5万円の価格をつけた新作は、クリスマス商戦で開店から閉店まで、途切れることなく売れ続けたという。
電波時計は11年に、世界初の光発電衛星電波時計に進化した。
40年前、倉庫で先輩が言った「外を見ろ」の発想に、「Made in Japan」の生命力があったのかもしれない。いまトップに立つ戸倉は後輩たちに何と声をかけるのか。
「360度を見ろ、です。決断をすれば、反作用や副作用は必ず起きる。でも、360度を見渡し、想定できる限りのリスクを考えたうえで決めたら、最後までやり抜くことが大事なんじゃないでしょうか」