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2015.12.26 11:30

時間と、将棋。

序盤戦、中盤、そして終盤戦と推移するうち「時間の感覚が変わっていく」と森内九段は語る。不意に長考を始める棋士は、その姿を見つめる者たちとは違う流れの時間を生きている。

序盤戦、中盤、そして終盤戦と推移するうち「時間の感覚が変わっていく」と森内九段は語る。不意に長考を始める棋士は、その姿を見つめる者たちとは違う流れの時間を生きている。

楽しい時間を短く、苦しい時間を長く感じることは、人間にとって自然なことだ。また、その人の年齢によっても時間の流れるスピード感覚は随分違うだろう。物理的な時間の長さと体感時間は、必ずしも一致しない。

世の中には数えきれないほどの職種があるが、私たち棋士はかなり特殊な時間感覚を身に付けた集団といえるだろう。スピード化が重視される今この時代において、持ち時間が各6時間という対局が日常的に行われており、開始から終局までに12時間以上かかることも珍しいことではない。日本からヨーロッパまで移動できる時間をかけて一局の将棋を指すのだ。

対局の序盤戦は、過去の記憶を思い返したり、気持ちを高めることに時間をかけることが多い。現代将棋において序盤の戦型選択は、カーレースに例えれば、走行するコースを決める作業に似ているかもしれない。もしお互いが日々研究を重ねているような最先端の激しい展開になれば、終盤戦までの距離が短くなり、準備の差、瞬時の判断の差で勝負が決まる。逆に事前研究が役立たない力将棋だと、お互い手探り状態で進んでゆくため、長い勝負になりやすい。

中盤戦に入ると、時間経過への感覚もがらりと変わる。自分の好みで指し手を選択していた序盤戦と違い、指すべき手も絞られてくるし、読みによって見通しの立つ場面も増えてくる。プロ棋士が最も時間をかけ、実力を発揮できる領域ともいえる。

実写映画化も決まった人気将棋漫画「3月のライオン」の中で、プロ棋士が手を読むことを、まっ暗な水底に潜っていくことに例えている場面があるが、いいえて妙である。プロ棋士なら突きつめて考えなくても、それなりの手は指せる。深く考えたからといって必ずしも良いアイデアが浮かぶ訳ではないが、それでも真理への挑戦を続けることが、棋士の証なのだろう。

私は、1300局以上の公式戦を戦ってきたが、振り返ってみると、特別な集中力を発揮できたように思える対局が、何局かある。そういうときは、あまり勝負をしているという感覚がないし、対戦相手への意識も消えている。局面について考えていると、いつの間にか時間がたっているという感じで、その時間が30分なのか、1時間なのか、あるいはもっと長い時間なのか、時計を見るまではまったく認識できない。スポーツで極度の集中状態にあり、他の思考や感情を忘れてしまうほど競技に没頭しているような状態を体験する特殊な感覚を「ゾーン」と呼んだりするが、将棋にも共通点はあるのかもしれない。

終盤戦は、完全に計算の世界だ。答えのある領域なので、基本的に局面においての正解手を探すしかない。近年、進歩の著しいコンピューターの将棋ソフトは演算速度を生かした終盤の強さが武器だ。今まで人間と対戦したマシンでは1秒間に2億6,000万手以上を読むものがあった。人間が同じ手数を読もうと思ったら人生が終わってしまうが、人間には優れた直感力が備わっている。訓練を重ねることによりほとんど考えなくても高い確率で正解にたどり着けるようになるのだ。

そして終盤戦は時間との戦いでもある。持ち時間を使いきってしまうと、1手1分未満で着手しなくてはいけない「1分将棋」になるからだ。マラソン選手がゴールのある競技場に戻ってきたとき疲労困憊しているように、長時間戦ってきた対局で「1分将棋」に入るとかなりハードな勝負となる。そのため、持ち時間をうまく配分して、余力を残しながら戦うケースもある。しかし、将棋というのは思わぬ展開になることもあり、いつも余裕をもって戦い、それでいて高い勝率を残すことは大変難しい。多くの場合、結局はぎりぎりの勝負になってしまう。深夜まで力一杯戦った対局を振り返ってみると、充実感とともに1日の不思議な時間の流れを感じるのである。


森内俊之◎将棋棋士。十八世名人資格保持者。羽生善治名人とは小学生の頃からしのぎを削るライバル関係だが、永世名人資格の獲得は森内のほうが1年早い。タイトル戦登場回数25回。獲得合計12期。

TOSHIYUKI MORIUCHI=文

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