キャリアが実際にどのように発展していくのかを人に尋ねると、必ずといっていいほど1冊の本の名が挙がる。『What Got You Here Won't Get You There』(邦題:コーチングの神様が教えてくれた「成功の法則」)は2007年の出版以来増刷を重ね、2023年にはシンカーズ50(Thinkers50)の経営学名著リストにも選出された。著者が提示した20の不適切な習慣は、今やエグゼクティブたちの共通言語となっている。
この本が長く支持されている理由は、リストの根底にある前提にある。リーダーシップとは、役職や権限、あるいは生まれ持った資質の有無ではない。他者の目に見える一連の「行動」であり、行動は正すことができるという考え方だ。この捉え直しは今やあまりにも当たり前になり、かつてそれが議論の対象であったことすら忘れられつつある。
19年が経過した現在も、著者は診断の軸を移動させ続けている。そして彼が示そうとしている方向性は、20の習慣以上に重要だ。それは職責の付帯事項に向いているわけでも、リーダーが自身のリーダーシップについて信じていること(自己認識)に向いているわけでもない。自分がどう振る舞っているか(発信)と、それが実際には周囲にどう受け取られているか(解釈)の間の「ギャップ」に向いている。そのギャップは昇進するたびに広がり、周囲の誰もそれを埋めようとする動機を持たない。
マーシャル・ゴールドスミスは、これまでに150人以上の主要企業CEOをコーチングし、40年にわたって上級職にある人物が変わろうとする姿を見つめてきた。今年のシンカーズ50生涯功労賞(Lifetime Achievement Award)の受賞者でもある。著書の大半は今も通用していると彼は語るが、どの部分が通用しているかを論じることにはほとんど関心を示さなかった。彼が話したかったのは、その本では半分しか描けていなかった問題である。それは20の習慣のリストには載っていない。自分を鍛えても解決しない。そして双方向に働く。なぜならあなたの肩書きを読み取っているのは、部屋の中の人々だけではないからだ。
「行動」は変わっていない。「解釈」が変わったのだ
習慣そのものが古くなったわけではない。「勝ちすぎる」「過剰な価値を付け加えようとする」「依怙贔屓(えこひいき)をする」といった問題が消えることはない。変わったのは、問題がどこに存在するのかという点だ。
「問題の多くは単なる行動の結果ではなく、あなたの行動に対する『解釈』の問題なのだ」と彼は語る。
若手エンジニアが「Xをすべきだと思います」と言えば、それは貢献として受け取られる。しかし、CEOがまったく同じセリフを口にすると、それは指示、あるいは委任ができない証拠、さらにはすでにどこかで決定された事項として受け取られる。誰の行動も変わっていない。変わったのは受け取り方(解釈)だ。
彼の著書を順に読み解くと、問題の対象領域が絞り込まれていくのがわかる。『コーチングの神様が教えてくれた「成功の法則」』では、目に見えて修正可能な「行動」に問題を求めた。ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーとなった『Triggers』(邦題:トリガー 自分を変えるコーチング実践編)では、自身では気づかないうちに影響を与えている「環境」へと対象を広げた。さらに『The Earned Life』(邦題:悔いのない人生を生きる)では、自分の意図と最終的に得られる成果との間のギャップへと深められた。
彼が私に語ったことは、その3つのいずれの外側にも位置している。自分の行動なら点検できる。自分の環境なら少なくとも地図化できる。だが、会議室があなたの一言をどのように指示へと変換するのかは、あなたが話し終えた数秒後に、あなた不在のまま起きる。そして記録の中から、そのことが起きたと知らせてくれるものは何も戻ってこない。
笑えなくなった冗談
彼の例え話に、ウォルマートの元CEOであるマイク・デュークの逸話がある。彼にはお気に入りのジョークがあった。上品で面白く、絶対にウケる鉄板ネタだった。しかし、CEOの職を辞した後に、あるグループにそのジョークを言ってみたところ、誰も笑わなかった。別のグループでも試したが、反応は皆無だった。最終的に彼の妻が説明してくれた。「本気で自分のジョークが面白いと思っていたの?」。ゴールドスミスはこの教訓をさらに厳しく表現する。「昇進すればするほど、あなたのジョークは面白くなる。それは営業活動であり、あなたはお客さまなのだ」
デュークは退職して笑いが止まったことで、ようやく現実を知ることができた。だが、在職中にその事実を得られる者はほとんどいない。本来、役立つのは在職中だけであるにもかかわらずだ。彼らが犯している誤りの大きさは数値化できる。筆者がグローバルでリーダーシップ開発研究を統括しているギャラップ(Gallup)社では、3月に調査結果を発表した。リーダーたちに7つの核となる能力について自己評価してもらい、次に彼らの部下であるマネージャーたちにも同じ行動についてリーダーを評価してもらった。7項目のうち6項目において、マネージャーによる評価はリーダー自身の自己評価よりも少なくとも20ポイント低かった。「人材育成」では、自らを優秀と評価したリーダーが60%だったのに対し、マネージャー側は32%にとどまった。「他者を鼓舞する力」でも、57%対32%だった。
唯一の例外こそ、熟考に値する。「責任感の醸成」においてはギャップが縮まり、リーダー46%に対してマネージャー30%となった。ギャップが小さいのは、双方ともに最も低い評価を下したからだ。リーダーは自らが弱いと疑っている部分においてのみ、自分を正確に見ることができている。その他のすべての項目において自己評価は高くなり、周囲がわざわざそれを訂正する理由のない方向において、評価は過大になり続ける。
つまり、「確実さ」とは信用すべきでないシグナルなのだ。必ずウケるセリフ、いつでも通用する鉄板のエピソード、誰もがうなずくフレームワーク。そうした信頼性の高さは、コンテンツの質を示す証拠ではなく、あなたの「立場」を示す証拠にすぎない。デュークが後に気づいたことこそが本質的であり、彼は自虐的にその話をする。ジョークがつまらなくなったわけではない。笑いの一部は常に、ユーモアに対してではなく、彼の「立場」に対して向けられていたのだ。
これは以前の診断よりもさらに不都合な現実だ。なぜなら、行動は改善できても、解釈は(少なくとも直接的には)コントロールできないからだ。人が話し終わる前に言葉を遮るのをやめることはできても、提案として口にした言葉を周囲が指示として受け取るのを止めることはできない。誰もあなたに嘘をついているわけではない。周囲の人々は、別の行動をとった場合のコストを正しく計算した上で、あなたを「正確に解釈」しているのだ。
このギャップを測る最も手軽な方法は、ほとんど誰も試さないものだ。次の意思決定会議が終わった後、2階層下の部下に「何が決まったと思ったか」を聞いてみることだ。それについてどう思ったかではなく、自分が何を決定したと彼らが思っているかを聞くのだ。自分が発言した内容と相手に届いた内容の乖離こそが、客観的に把握できる唯一の指標となる。あなたがそれを尋ねていると周囲が知り始めると、ギャップは急速に縮まっていくが、それ自体が興味深い発見である。
肩書やラベルで自分自身は変わらない理由
私は長年抱いていた質問を彼に投げかけた。コーチとコンサルタントには違いがあるのだろうか。私にはそう尋ねる理由があった。数百の組織にコンサルティングを行い、それ以上のリーダーをコーチングしてきた中で、これらは明確に異なる職種であり、どちらかを選択しなければならないと繰り返し言われてきたからだ。
彼は質問を退けた。「私は言葉の定義(セマンティクス)について議論することは一切ない。言葉の定義で議論するのは時間の無駄だ」と彼は言った。「シチュエイショナル・リーダーシップ(状況対応型リーダーシップ)」モデルを構築した恩師ポール・ハーシーから、言葉ではなく「実践的・運用的な言葉」を使うよう教わったという。だから彼は、成功しているリーダーが長期的でポジティブな行動変容を達成できるよう支援する。それがコーチングなのか?「それが私のやっていることだ」と彼は言う。
そして彼は前提そのものに切り込んだ。「その定義を作っている神とは一体誰なんだ? 辞書には複数の定義がある。君は辞書の絶対的な神なのか?」
自ら創出を手助けしたこの職業に対しても、彼は過度な敬意を払わない。シチュエイショナル・コーチング(状況対応型コーチング)について執筆中の著書『Match』で、彼はコーチングが「手法」と「アイデンティティ」を混同してしまっていると主張する。一般的な正統派の手法では「質問をし、アドバイスは控える」とされる。しかし、ゴールドスミスは絶えずアドバイスを与える。ただし重要な条件を一つ付す。「専門知識(コンテンツ・エキスパート)を持つコーチは極めて少なく、そうでない者はアドバイスをすべきではない」。彼の業界の標準からすれば、彼は「やってはいけないことの典型例」だ。クライアントと一緒に笑い、毒づき、ジョークを飛ばす。「まあ、でも結果として私はうまくいったよ」と彼は笑う。
ラベル(肩書)の作用も双方向だ。周囲はあなたの役職を解釈し、発言を指示に変換する。そして、あなた自身も自分の役職を意識している。影響力が価値を持ち、誰もが創業者やアドバイザー、思想的リーダー(ソートリーダー)を名乗る時代において、キャリアの階段を上るほど肩書は積み重なり、それが静かに「自己認識」の役割を果たし始める。
彼が最も辛辣な言葉を向けるのは、反対の方向へ自己を定義する人々、つまり影響力を及ぼすことを控え、それを「謙虚さ」と呼ぶ人々に対してだ。「もしあなたがより大きな影響力を持てば、世界はより良い場所になりますか?」。彼らは最終的に必ず「はい」と答える。「では、影響力を持とうと努めることは、あなたにとって居心地が悪いですか?」。非常に居心地が悪い、と。「では、人生で重要なのは世界をより良くすることか、それとも自分が快適でいることか? くだらない『謙虚さ』を自慢するのはやめなさい。あなたには挑戦するガッツがないだけだ」
符号が逆なだけで、同じ過ちなのだ。あるリーダーは肩書を意識し、周囲の反応を鵜呑みにする。別のリーダーは肩書を拒絶し、その拒絶を「人格」と呼ぶ。どちらも、そこに実際に存在する現実を見ていない。「それをコーチングと呼びたければ呼べばいい。呼びたくないならそれもいい。『君は全くコーチらしくない』と言われても、『そうかもしれないね』と答えるだけだ」
毎晩行う1から10の自己評価
1時間のインタビューが終わりに差し掛かった頃、彼から逆に質問された。
1から10までの点数で言えば、「今日、幸せであるために全力を尽くしたか?」と彼は尋ねた。私は「5点」と答えた。十分な行動ができたと思わなかったからだ。
「少しコーチングをしよう」と彼は言った。
世界最高峰のエグゼクティブ・コーチがそう口を開いたとき、手をとめて集中せざるを得ない。それまでの1時間を質問に費やしてきた私から、わずか数言で主導権を奪っていった。
「点数を上げなさい。人生は短い。忙しすぎて幸せになるのを忘れてはならない。どうせ人は死ぬのだから」。そして彼は続けた。「24年後に振り返ってその『5点』を見たとき、自分がどんな人間だったかがはっきりとわかるはずだ」
それは、私が何ひとつ開示していなかった心の内側に突き刺さった。リーダーシップの研究を職業としていると、地位の仕組みや戦略的影響力、トップの座に伴う独特のプレッシャーや名声にとらわれがちになる。だが、彼の言葉はそうしたこととは一切無関係だった。会社を経営していようが、チームを率いていようが、あるいは何の役職にも就いていなかろうが、その真理が変わることはない。
後になって気づいたのだが、その質問は即興のものではなかった。それは、以前の記事で紹介した、彼が毎晩自分自身に投げかけている6つの質問のうちの1つだったのだ。彼は自身が使っている測定ツールを私に渡し、それが何を計測するのかを私自身に発見させようとしていたのだ。
この分野を築き上げた人物でありながら、彼は自分自身の1日の振り返り(主観的な解釈)だけに頼ろうとしない。そのこと自体が、個人の主観的認識がどれほどあてにならないかを示している。彼が語ってくれた新著も同様の考えに基づいている。その本は小さく、写真が中心で、「人間を劇的に作り変えることなどできない」という前提に立っている。「1分間をより良くする」だけで十分なのだ。
盲点は注意喚起とともに現れるわけではない。「自信」の顔をしてやってくる。昇進するたびに、扱うコンテンツ(発言や決定)の影響力は増し、それが周囲にどう受け止められているかの見誤りは大きくなり、指摘してくれる人物がまた1人去っていく。そうしたリーダー職を望む人が以前より減っている中で、引き受けた人々は、自分自身に関する情報がますます歪んでいく環境へと足を踏み入れる。そこで失われるのは、単なるフィードバックではない。「本当の自分がどんな人間であったか」を知る能力そのものなのだ。
ゴールドスミスはまったく別の話をしながら、この仕組みをたった2文で言い切った。「自分より多くを知る人々のそばにいると、自分がそれほど知らないことを学ぶ。自分より多くを知る人々のそばにいなければ、そのことすら知らない」
昇進のたびに、そうした人物が部屋から1人消えていく。それは「報酬」という姿でやってくる。その人々を再び自分の周りに呼び戻すことこそが、真の仕事なのだ。あなたの解釈を補強するようなアドバイザーではなく、重要な分野で自分より詳しく、あなたが目に入らなくなったものを正確に指摘できる人物を置くこと。それを築くことは、失敗を認めることではない。それを怠れば、自分が何者になったのかを、ビルの中で最後に知るのはあなた自身になる。



