幼児向けレースイベント「Strider Cup」の数字を見るたびに、スプレッドシート上の収支は決して見栄えがよいものではない。会場費、人件費、運営、広告には、得られるリターンに比べて大きなコストがかかることがある。企業は通常、イベントをチケット収入、会場での商品販売、開催地域における売上増、そしてその週末に起因する新規顧客獲得数で測る。私たちのイベントをそれらの数字だけで見れば、まったく理にかなっていない。それでも私たちは開催を続けている。
今日のマーケティングの多くは、デジタルのブランドキャンペーンを中心に回っている。それは十分に理解できる。オンラインキャンペーンは実施コストが低く、立ち上げが早く、測定もほぼ無限に容易だ。投じた1ドル(約1万未満円)ごとにコンバージョンをひも付けることができる。ファネルを可視化し、最適化し、報告できる。しかしイベントはそうはいかない。数字が合わなければ、削減対象になる。その論理は理解している。ただ、それはしばしば誤った判断だと私は考えている。なぜなら、標準的なイベント指標は、測るべきものを測っていないからだ。
社会学者は、家庭でも職場でもない、コミュニティが実際に形づくられる場所である「サードプレイス」の衰退について語っている。地元のトラック、町の広場、近所の公園で開かれるイベントを思い浮かべてほしい。そこは、見知らぬ人同士の関係が現実のものになる空間だ。そうした場をつくるブランドは、どんなアルゴリズムにも生み出せないものを得る。自社ブランドがなければ決して生まれなかった友情やつながりを、人々が築く瞬間を得るのである。世界がますますオンラインへと移行するなか、現実世界での存在感は年々希少になり、価値を増している。
私たちの会社はバランスバイク(ペダルなし自転車)を製造している。メーカーである私たちは、最終消費者から1段階、あるいは2段階離れていることがある。多くの場合、本社のチームは、実際に私たちの製品を使っている人たちと直接つながる機会を持たない。親たちはオンライン、または私たちのパートナーを通じて自転車を購入するからだ。Strider Cupは、それを完全に変える。スタッフが現場に出て、ライダーやその家族と交流する唯一の機会である。スタッフは保護者と会話し、自転車について気に入った点や苦労した点を、本人たちから直接聞くことができる。
私たちは各イベントで技術検査を行っている。検査担当者は、自転車の隅々まで確認し、レースに適した状態であることを確かめる。参加者にとっては、本格的な自転車レースのような感覚を得られる。私たちにとっては、放置されていた箇所や誤って調整されていた箇所を見つけ、その場で修正を手伝う機会になる。2年間しっかり乗り込まれた自転車を見ると、その摩耗のパターンから、製品が私たちの想定どおりではなく、実際にどのように使われているのかを読み取ることができる。それは、星評価やアンケートからは得られない製品開発上の知見である。
さらに、どんなレポートにも表れないもうひとつの側面がある。それは、そこで働く人々に与える影響だ。エンジニア、デザイナー、運営チームがフィールドに立ち、自分たちがつくったものに乗って3歳児がコースを駆け抜ける姿を見る。それは、なぜ自分たちがこの仕事をしているのかを思い出させてくれる。そうしたひらめきや目的意識とのつながりを数値化するのは、本当に難しい。しかし、それを目の当たりにしたリーダーなら誰でも、それが現実であり、重要であることを知っている。
次に、消費者側を考えてみよう。レースそのものは、予選2分、決勝2分の計4分程度にすぎず、子どもの1日のうちごくわずかな時間だ。だが、その4分を取り巻くものは何か。会場で他の家族と話す何時間もの時間、子どもたちが互いの自転車を見比べる時間、別の州や国から来た見知らぬ人同士が、その朝ホテルのロビーで見かけた相手に気づく瞬間である。こうした家族の一部にとって、イベントは目的のある小さな休暇だ。私たちの自転車は、会話を始めるための共通項になる。
さらに、彼らが駐車場に到着する前に何が起きていたかを考えてほしい。何週間にもわたる期待。子どもが車道で練習し、頭の中でコースを走る。親は航空券を予約し、自転車を荷造りする。レース当日に向けた身体的、精神的、感情的な準備。緊張、集中、興奮。そのすべての中心に、私たちの自転車がある。私たちのブランドは、イベント当日にそこに存在しているだけではない。その何週間も前から、その家族の頭の中に存在し、本物の感情をかき立てている。それは、金では買えない「心の中の看板」である。
そして、その後が訪れる。イベントはあふれるほどの思い出を生み出す。表彰台での写真。親が何年も語り続ける物語。幼児がフィニッシュラインを越え、顔を上げると母親が声援を送っていた瞬間。そうしたものは色あせない。そして、それらはブランドと永続的に、感情的に結び付く。
だから、標準的な指標では正当化できないイベントを切る前に、別の測り方を試してほしい。その週にチームは、設計のあり方を変えるような直接的な製品フィードバックをどれだけ集めたのか。社員は実際のユーザーと何時間を過ごしたのか。スタジオ撮影では再現できない本物の瞬間がどれだけ生まれたのか。その日に形成されたコミュニティの関係は、どれだけの人々を再び戻ってこさせるのか。そして、有料の露出では生み出せなかった形で、自社ブランドに感情的に関与するようになった家族はどれだけいるのか。
現実の交流は、本物のコミュニティを築く。家族の体験は、自然発生的なマーケティングを生む。共有された記憶の感情的な重みは、ブランドへの愛着を育てる。それは、優れた製品があるから起きるのではない。顧客の現実の生活の中に、継続的に存在してきたから起きるのだ。重要なのは、単に顧客に売ることではない。彼らが決して忘れない体験に投資することである。



