「最近の若い女性社員は地味な子が多い」と嘆く彼女が見せてきた「悪目立ちたがる生き方」とは何か?「ファイブミニ」「ポカリスエット」を大ヒットさせながら、大塚製薬を辞めて、外資系の異なる職種を渡り歩いた彼女の成功と挫折からは、多くのヒントが見えるはずだ。
(中略)彼女の最初の成功は、大塚製薬佐賀研究所時代に「ファイブミニ」を開発して、大ヒットさせたことだ。もともと同研究所は採用募集をしていなかったが、「臨床栄養を研究できる民間初の職場」という雑誌の記事に、「ここしかない」と、所長を訪問。毛筆の手紙を送りつけて採用されたのだ。「ファイブミニ」の成功で東京に引き上げられると、 弱冠30歳で看板商品ポカリスエットのブランドマネージャーになった。しかし、「新たな販売戦略を打ち立てたものの、全国の支店長から相手にされず、一人ひとり訪ね歩きました」やっとひとりの支店長を説得。結果をだすや、彼女の戦略は徐々に受け入れられ、ポカリスエットは売り上げを初の1,000億円台に乗せたのだ。
同志をつくれるかどうかが、彼女のキャリアを左右する。1996年、「外の世界で自分を試したい」と、アメリカの大手広告代理店に就職した。
「広告業界の経験がなく、部下を説得力をもって動かすことができませんでした。仕事がまったくできず、7カ月で退職したことが、私にとっては大きな挫折でした。退職した日、偶然、電車の中で大塚製薬時代の部長とばったり会い、涙が止まりませんでした」
その後、アメリカ食料品会社、フランス商社と渡り歩き、2005年に仏化粧品シスレージャパンの社長に就任。そのときまず笠がしたのは、全国を回り、百貨店の売り場に立つ販売員たちと夕食をともにすることだった。彼女たちはほうっておかれていた。笠は不満を聞いた。「ユニホームが格好悪い」「商品が高くて自分で使えない」。彼女たちの胸の内をじっくり聞き、改善を約束した。スキル以上に心を通わせたことが、下降線をたどっていた売り上げを反転させたのだ。
「旗を振るだけではだめ。どうしたら心をひとつにして チームの力を高められるのかをいつも考えてきました
―2009年、彼女は13年ぶりに大塚製薬に復帰した。以来、女性役員として公の場で発信する機会が増えている。APEC女性会議には2011年から3年連続で出席。
笠はいま、女性に大きな仕事を積極的に任せることを意識している。
特に出産前にやりがいのあるプロジェクトを担当させ、仕事の面白さを覚えさせる。そうすることで、職場に戻る確率がぐんと高まるからだ。未婚の女性に対しては、強くこう言っている。
「仕事を続けたいなら結婚しなさい」
多くの女性は驚くが、笠はこう言う。
「味方をもつことが大事だからです。家族は頭数。子どもを持ちなさいとも言っています。仲間がいると、心が折れないのです」(以下略、)