リーダーシップ

2026.10.18 08:16

優れたリーダーが「自分という存在の重要性」を部下に実感させる理由

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会議のテーブルに席を与えられていても、自分がその席を空けて誰かが気づくだろうかと疑問に思う人がいる。この違いこそ、エンゲージメントやバーンアウト(燃え尽き症候群)、人間関係、そして組織のパフォーマンスを形成する、目に見えにくい力の一つについてのジョン・R・マイルズの思考の核心にある。それは「自分という存在には価値がある」と人間が感じたいという欲求だ。

マイルズはこのテーマに対して異色の経歴を持つ。海軍士官学校の卒業生で元海軍将校の彼は、フォーチュン50企業で20年以上幹部を務め、4度にわたりCEOを歴任した。ポッドキャスト番組『Passion Struck』のホストであり、新著『The Mattering Effect: Creating a Life of Meaning and Worth(存在価値の効用:意味と価値のある人生の作り方)』の著者でもある。しかし、我々の会話において最も重要だった問いは、著書についてではなかった。それはリーダーシップに関するものだ。単に組織に属しているだけでなく、自分の存在が本当に変化をもたらしていると人々が知った時、何が変わるのか。

この違いは単なる言葉の定義にとどまらない。マイルズによれば、「所属すること(Belonging)」とは居場所があることを意味する。一方、「存在価値を実感すること(Mattering)」はさらに一歩踏み込む。「『存在価値の実感』とは、自分はここで評価されており、自分がもたらすものが違いを生んでいると感じることだ」

一見わずかに思えるこの違いは、リーダーにとって重大な意味を持つ。

組織は従業員が生み出す成果を測定することにおいては極めて精巧になった。だが、同じ従業員が何を抱え込んでいるかを認識することに関しては、多くの場合あまり得意ではない。

マイルズはその断絶を双方の立場から経験している。

ホームセンター大手ロウズ(Lowe’s)にIT部門担当副社長として入社した際、彼が引き継いだ部門には、会社にとって極めて重要でありながら著しくエンゲージメントの低い優秀な従業員が溢れていた。仕事自体は重要だったが、それを担う人々は自分たちの存在価値を確信できずにいた。

その後、デル(Dell)のCIOとして大きなグローバル責任と10億ドル(約1580億円)規模の予算を担ったマイルズは、自身でこの現象に直面した。彼の成果は目に見えるものだったが、それを生み出すための人間的な代償はほとんど目に見えなかった。

「『自分の行ったこと』で評価されることと、『自分という人間』が真に理解されていると感じることの間には、極めて大きな違いがある」と彼は筆者に語った。

この違いは、従来の表彰制度や認知プログラムがしばしば十分な効果を上げられない理由を説明するのに役立つだろう。称賛や報酬、表彰は、従業員の成果が感謝されていることを伝えることはできる。しかし、それらはその成果を生み出している人物そのものに対する関心を必ずしも伝えるわけではない。

マイルズが言うように、「人々はあなたが何を生み出しているかは知っているが、あなたが何を抱え込んでいるかを知っている人は多くない」のだ。

有能さが「隠れみの」になる時

現代の職場は、苦もなく有能であるかのように装う姿勢を報いることで、意図せずその問題を悪化させてしまうことがある。

マイルズは「アヒル症候群(duck syndrome)」を指摘する。これはスタンフォード大学の学生の間で生まれた言葉で、水面の上では平然と見えながら、水面下では激しく足を動かしている人々を表す。この構図は組織での生活にも容易に当てはまる。従業員は、自信を示すことが報われ、不確実性は無能に見えかねず、助けを求めることは弱さだと解釈されかねないと学ぶ。

最終的には、隠すこと自体が職場でのスキルとなってしまう。

この動態が、彼が「マタリング・ギャップ(存在価値の格差)」と呼ぶものを生み出す。これは、人が与え続けるものと、その人が実際に感じる価値との隔たりだ。そしてその結果生じる代償が「マタリング・タックス(存在価値の代償)」であり、疲弊、不安、孤独感、バーンアウト、そして自分には価値があると証明し続けなければならないという終わりのない努力となって現れる。

リーダーシップにおけるこの教訓は耳の痛いものだ。なぜなら、従業員の存在感を失わせようと意図的に決定する組織などめったにないからだ。多くの場合、存在感の喪失は段階的に進行する。

マイルズはこのプロセスを構造物の段階的な崩壊になぞらえる。2021年に米フロリダ州で起きたサーフサイドの分譲マンション崩壊事故は、単一の瞬間的な欠陥によって起きたのではない。警告サインが蓄積し、問題が放置された結果、最終的に構造物が荷重に耐え切れなくなったのだ。そして数十人もの犠牲者が出た。

人間のシステムもまったく同じように劣化し得る。

誰かが懸念を示しても、何も起きない。次の従業員はさらに慎重になる。会議はますます形式的になる。重要な会話は会議室から、その後の私的な会話へと移っていく。

「人々は、役に立つこと、黙っていること、手のかからない存在でいることを学ぶ」とマイルズは言う。

リーダーが広範なエンゲージメントの低下を認識した時には、すでに何年もかけて進行してきたプロセスの末期を目にしている可能性があるのだ。

「話を聞く」だけでは不十分

ここに、存在価値の実感と心理的安全性との接点がある。

組織はしばしば、率直なフィードバックを求めていると主張する。真の試練は、それを提供した人々に何が起きるかだ。

デルにおいて、マイルズはその矛盾を身をもって目撃した。リーダーたちが誠実さと変革を呼びかける一方で、組織の仕組みがまさにそうした行動を挫くようなものになっていた。従業員たちは、前提に異議を唱えたり、悪いニュースを表面化させたり、扱いづらい懸念を提起した同僚に何が起きるかを注視していた。

真実を語ることが本当に安全かどうかを、人々はすぐに察知する。

したがって、リーダーは単に意見を求めるだけで存在価値を実感させることはできない。従業員は、自分の意見が何らかの影響を与えたという証拠を察知できなければならないのだ。

マイルズは組織改革を指揮する中でこのことを学んだ。あるベテランマネージャーが、マイルズが刷新しようとしていたシステムに対する彼の前提に異議を唱えた。マイルズはその批判を退けるのではなく、後にそのマネージャーの視点を公の場で認め、アプローチを修正した。

重要なのは、その従業員の意見が聞き入れられたということだけではない。その後の動きに、その従業員の貢献という「指紋」が残されているのを周囲の誰もが確認できたことだ。

「環境が全く反応を示さないのであれば、話を聞くだけでは不十分だ」とマイルズは語る。

この指摘は、従業員アンケートやヒアリングセッション、タウンホールミーティング、エンゲージメント施策が溢れかえる組織において、特に大きな意味を持つ。目に見える形で応じることなしに意見を求めることは、最初から尋ねないことよりも悪影響を及ぼし得る。それは影響力を行使できたという実感が伴わない、見せかけの発言権を生み出すに過ぎないからだ。

管理する存在から「見届ける」存在へ

マイルズは、「管理されること」と「見届けられる(一人の人間として存在を認識される)こと」の間に、もう一つの有益な線引きをしている。

管理は当然ながら行動、業績、締め切り、結果に焦点を当てる。一方で「見届ける」ことには、そうした成果の背後にいる人間そのものに対する好奇心が必要とされる。

ロウズでエンゲージメントの低下した組織の再建に着手した際、マイルズは投げかける質問を変えた。従業員に何を成果として求めているかだけに集中するのをやめ、彼らの生活に影響を与えている目に見えない事情を理解しようとし始めたのだ。

「私が気づいていないかもしれないことで、あなたが心の中に抱え込んでいるものは何か」と彼は尋ねるようになった。

その答えには、病気の家族、業務外での勉強、金銭的プレッシャー、副業、あるいは家庭での責任などが含まれていた。それらがあるからといって成果に対する責任が免除されるわけではない。しかしそれらは、マイルズに、評価対象である成果を生み出している人物の、より全体的な姿を与えた。

従業員たちは、リーダーが会社にとっての利用価値だけでなく、「多角的な一人の人間としての自分」に関心を持っていることに徐々に気づいていった。その信頼は一度質問しただけで生まれたわけではない。彼の関心が本物だと従業員が信じるまでには何度も聞き直す必要があったのではないかと筆者が指摘すると、マイルズは笑った。「何百回も尋ねた」と彼は言った。

その返答には重要なリーダーシップの原則が込められている。組織文化がドラマチックな宣言によって変わることはめったにない。それは、繰り返されるシグナルによって変わるのだ。

そしてそれらのシグナルは、状況によって対応するのが不都合な時にこそ最も大きな意味を持つ。

「頼りになるリーダー」が陥る危険

リーダー自身もまた、自分の存在が認識されていないと感じることと無縁の存在ではない。

マイルズは、ロウズで数万人の従業員を統括していた幹部の「デイビッド」のエピソードを語る。彼には出会った人々の個人的な詳細を記憶する卓越した能力があった。病気、家族の状況、子供の功績などを覚えていたのだ。自分の存在を認識させてくれたため、従業員は彼を熱狂的に慕っていた。

しかしデイビッドは周囲の誰もにとって頼りになる存在になりすぎたため、その努力にどれほどの代償が払われているかに気づく人はほとんどいなかった。

やがて、彼の子供たちは自分たちなりの合図を考え出した。彼が身体的には家にいても心が別の場所にある時、塗装したレンガを彼の前に置くようにしたのだ。職場であれほど惜しみなく注いでいた「存在感」を、家庭にも持ち帰ってほしいというリマインダーだった。

マイルズはこれを「頼りになる者が抱える空虚な孤独」と呼ぶ。

「他の全員に存在を実感させている人物こそ、最も見落とされやすい存在になり得る」

スタミナや自己犠牲が安易に美化されがちなリーダーシップの領域において、この警告は特に注視されるべきだ。存在価値を実感できる文化は、システム自体が生み出せずにいるものをリーダーが身を削って提供し続けることに永遠に依存するわけにはいかない。

人々が成長するための条件を整える

マイルズが提示する代替案は、彼が「庭師型リーダー」と呼ぶものだ。

この比喩はリーダーの前提を変える。従来のマネジメントは、パフォーマンスの問題に対して、人間を修理が必要な欠陥部品であるかのように扱いがちだ。一方、庭師は異なる問いを立てる。「この人が開花するための条件は整っているだろうか」と。

その視点は、ありふれた月曜朝の会議さえも変える。

「何を達成しなければならないか」だけで始めるのではなく、マイルズはリーダーが次のような質問をすることを提案する。「人々はどこで立ち止まっているか。何が共有されていないか。ベストを尽くすためにどんなサポートが必要か」

「人が壊れていて修理が必要だと決めつけるのではない。環境が成長に必要な条件を与えているかどうかを問うのだ」と彼は言う。

それこそが、存在価値の実感を真剣に捉えることの最も実践的な結実かもしれない。

リーダーシップにおいては長年、適切な人材を同じ部屋に集めることが重視されてきた。より難しい課題は、自分の存在が何かを変えていると人々が信じられる部屋を作ることだ。そこでは、率直さが決定に「指紋」を残し、困難を偽装する必要がなく、頼りになる人物自身もケアされ、従業員が単なる成果の総和以上の存在として認識される。

その意味において、存在価値の実感とは、組織が企業の行動指針(バリュー)として宣言できるようなものではない。それは従業員が自らの経験から感じ取るものなのだ。

だとすれば、リーダーシップにおいて重大な問いは、従業員に対して「あなたには価値がある」と伝えたかどうかではないかもしれない。組織のあり方が、彼らにそれを信じるに足る十分な証拠を与えているかどうかなのだ。

(forbes.com 原文)

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