「言論の自由」に包囲網?米で広がる懸念

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米国民の間にはこれまで、自らの考えを自由に語る権利があるとの確固たる合意があった。米国憲法修正第1項(言論の自由)が、米政府には政府方針に反する考えを主張した国民を罰したり、そうした主張を記した文書を検閲したりする権限はないと定めているからだけではない。

米国民の大半は、言論の自由を「自由の恩恵」の一つであり、それが自国を特別な存在にしていると考えてきたからだ。当然ながら、多くの人がとんでもなく間違っていたり、危険をはらんでいたりする主張を展開する。だが、こうした主張をする人たちと議論することは、彼らを黙らせようとすることよりはるかに有益だ。

しかし、米国では残念ながら、こうした自由放任主義の考えが急速に損なわれている。
その理由の一つは、言論の自由と公開討論の価値が、教育の場でかつてのようには教えられていないことだ。実際、一部の高校では教師たちが、生徒に反対のことを教えている。

もう一つの理由は、政治における権威主義勢力が、反対派を黙らせるために自らの権限を行使しても、罪には問われないと認識してしまったことだ。そうなったのは、言論の自由が尊重する原則を今でも支持する国民があまりに少なくなってしまったためだ。

我々はこうした「反言論の自由」が広まっている事実を、大学のキャンパスでも目にしている。学生のグループ(一部は教職員らから支援を受けたり、唆されたりしている)が繰り返し、自分たちと異なる考えを主張する者たちをキャンパスから締め出している。

数多くあるそうした例の一つが、マサチューセッツ州ウォルサム市にあるユダヤ教系の私立ブランダイス大学が、ソマリア・モガディシュ生まれの女性活動家、アヤーン・ヒルシ・アリに対する招待を取り消した一件だ。大学関係者に対し、イスラム教に関する彼女の発言が一部の学生の感情を傷つける可能性があるとの圧力がかかったことが原因だ。

さらに、言論の自由に対する敵意が最も露骨にあらわれているのは、気候変動は深刻な脅威であり、政府の迅速な対応が必要であるとの主張の正当性に異議を唱える者は罪に問われるべきだとする一部の政治家の要求だ。米紙ワシントン・ポストは今夏、ロードアイランド州選出のシェルドン・ホワイトハウス上院議員(民主党)の主張について報じた。

同議員は、「米司法省は石油・ガス業界を相手取り、組織犯罪を取り締まる『威力脅迫および腐敗組織に関する連邦法(RICO法)』を根拠に訴訟を起こすべきだ」と訴えた。

「誤解を招く恐れがある」と政治家が断言する事柄を支持すれば、その業界は連邦政府が行使しようとするあらゆる力と闘わなければならなくなるという恐怖は、公共の問題に関する議論を萎縮させるのに十分だ。ケイトー研究所・憲法研究センターの上級研究員、ウォルター・オルソンはウェブサイト「Overlawyered」で、「米国憲法修正第1項はイメージを意識する政治家たちに、自身と異なる見解を主張する者への攻撃を思いとどまらせると考えられてきた。だが、ホワイトハウス議員を阻止することはできなかった」と述べている。

政策に反対する人物を犯罪者扱いするのは第三世界の独裁者が行うことであり、米国で行われることではない。しかし、不吉なことにそれが変わってきているのだ。
最近にみられるこうした言論の自由への攻撃は、特に注目に値するものだ。これらが憲法を順守すべき立場にある当局関係者によるものだからだ。

言論の自由は、我々に認められているその他の全ての自由の中核をなすものだ。米国民はこれに反対し、言論の規制を支持する人たちとの闘いを始めなければ、ひどい目に遭うことになる。

編集 = 木内涼子

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